『コンサルティング・デビル 』③
第3部:『顧問(共犯者)へのプレゼント』
十二月二十六日、深夜。
華やかな煌めきは街から消え、残されたのは静謐な夜だけだった。
「――いい酒だ、レオンくん」
事務所の応接室に、厳かな声音が響く。
バルナザールの声には、数日前までの悲壮感など微塵もなかった。
暖炉の火がパチパチと爆ぜ、琥珀色のブランデーがグラスの中で揺れる。
窓の外には、勝利の余韻を噛みしめるかのような、どこまでも静かな雪景色が広がっていた。
「お気に召して光栄です、顧問」
レオンは柔らかな微笑みを浮かべ、バルナザールの隣に立った。その姿は、破産寸前の元上司を救い出した「慈悲深い男」の理想像そのものだった。
バルナザールの慢心は、極上の酒と暖炉の火に照らされ、心地よく膨らんでいく。
「君もヴァルプスも、『大悪魔』である私の経験と頭脳を、大いに頼るがいい」
「ええ。あなたほどの御方が味方に就いてくださるなら、これほど心強いことはありません」
レオンは恭しく頭を垂れた。その冷徹な双眸が、バルナザールからは見えない角度で、薄く細められる。
「……父上。就任おめでとう。これでアメリアの防衛は盤石ですね」
ヴァルプスがほんのすこし砕けた様子で、バルナザールに微笑みかける。
いまだ元上司と元部下の感覚が滲むが、バルナザールは淡い繋がりを感じていた。
レオンは慇懃に、しかし淀みない動作で分厚い資料を机に置く。
『顧問就任に伴う職務規定・細則』
「形式的なものですが、一応目を通しておいてください」
「ああ、わかっている」
バルナザールは鼻を鳴らし、長年の勘でざっと内容を流し読む。条項の並び、フォント、法的用語。すべて標準的に見える。安心感が彼の表情を支配した。
だが、第二十四条の隅に、一行だけ異彩を放つ文が滑り込んでいた。
「本法人が管理する一部の知的財産、ならびにCEO個人の将来価値および契約上の保全利益の一部は、リスクヘッジのため信託財産(受託者:ヴァルプス)として『1魔貨』で分離・譲渡可能なものとする」
バルナザールの手が、一瞬止まる。
「……レオン。この第二十四条の『1魔貨』というのは何だ?
いくらリスクヘッジとはいえ、端数が過ぎやしないか。
私の経歴に傷がつくぞ」
レオンは瞬きもせず、隣にいるヴァルプスに紅茶を注ぎながら静かに答えた。
「形式的なものです。
顧問になられる方に、万一の責任が及ばないようにするための……
まあ、念のための保険みたいなものですよ。
ご経験豊富な方であれば
こういう条項が何を守るか、もう説明はいりませんよね」
バルナザールは一瞬眉をひそめるが、すぐに口角を上げる。
「ふん、節税対策か。なるほど、小賢しい」
彼は、その「1魔貨」に納得し、力強くサインを刻んだ。
『ピロリ――』
電子決済の承認音が、静かなオフィスに冷たく響いた。
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「……行かれましたね」
バルナザールが現世から魔界に去ったあと、ヴァルプスは魔導端末を手に光を反射させる。そこには、先ほどの契約書が青く鮮やかに表示されていた。
「レオン……彼と、これから一緒に働けるんですね」
ヴァルプスの赤い瞳には、かつての怯えはない。そこにあるのは、レオンのパートナーとしての冷徹な瞳と、ほんのすこしの挑戦的な微笑みであった。
レオンはずっとつけていた変装用の眼鏡をようやく外した。軽く目元を押さえつつも、微かに唇を弧にする。
「ああ、これでいいんだ、ヴァルプス。
最後まで『選ぶ側』の夢を見てもらわなくては」
立ち上がると、巨大なモニターに完成済みのスライドを映し出す。
事務所の移転。二月の決算発表、十月の満期――緻密なタイムスケジュールが、戦場の行軍図のように整然と並んでいた。
「……ヴァルプス。次の話をしよう。
君には1魔貨で、私を買い叩いてもらう」
「……それは、どういう意図で?」
「計画の草案は、あとで見せる。
ただ……悪いようにはしない、とだけ」
それ以上の追及を拒むような、だが同時に絶対の安心感を与える声音だった。
「……はい」
レオンを見下ろすヴァルプスの視線が、わずかに彷徨った。
――1魔貨で、この男を買い叩く。
レオン本人は、これが敵の行動を遅延させるための最も合理的で、冷徹なチェックメイトの手段だと確信しているのだろう。その顔には、一点の曇りも、私情もない。だが、それを受ける側のヴァルプスにとっては、話が別だった。
ビジネスの皮を被った、実質的な身受け――あるいは、一生の縛り。レオンの「悪いようにはしない」という無自覚な響きが、ヴァルプスの理性を激しく揺さぶる。
まだ計画の全容は見えない。しかし、レオンが一切の私情を排して放ったその言葉の重みに、ヴァルプスは自身の高鳴る鼓動を必死に抑え込むしかなかった。
レオンは自身の首元へ手を伸ばし、銀の鎖に繋がれた端末にそっと指先を触れる。最終権限は、その奥で静かに息を潜めていた。
ひと仕事を終えたレオンは、ややくたびれた顔で、魔導タブレットの上に視線を落とす。その指先が、次のタスクを処理するように淡々と躍った。
■チェックリスト
[ x ] バルナザールに顧問契約書のサインをさせた
[ x ] ヴァルプスに「1魔貨信託口座」の管理権を渡した
[ ] アメリアに連絡
窓の外では翌年へのカウントダウンが、静かに始まろうとしていた。
レオンの喉を通る紅茶には、すでに冷えていた。
――それは、計画の冷たさを象徴しているかのように。
※本作は、noteにて先行公開していた記録のアーカイブ版です。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




