『コンサルティング・デビル 』②
第2部:敗北者への「名誉職」の進呈
重厚なオーク材の扉が開くと、暖房でむっとした澱んだ空気が室内に充満していた。
かつて権威の象徴だった執務室も、今はただの巨大な檻に見える。
黒壇の机の奥に座るバルナザールは、レオンが入っても顔を上げなかった。
「……何の用だ。嘲笑いに来たのなら、昨夜の通信で済んだはずだろう」
掠れた声。
二十四日の監査で負け、二十五日の孤独で精神を削られた男の精一杯の虚勢だった。
このまま日がたてば、破産が待ち受けている。
レオンは無言で応接用ソファへ腰を下ろす。ヴァルプスを隣に座らせ、机の上に薄いタブレット端末を置いた。
「確認に来ただけですよ。
……あなたが、まだ『資源』として使えるかどうかを」
眉が跳ねるバルナザール。怒りよりも先に、「資源」という言葉の冷たさに背筋が凍った。
「……私を、助けるつもりか?」
「勘違いしないでください」
透き通る瞳で見据え、淡々と言い放つ。
「破産は避けられません。……あなた単独では」
部屋の温度が数度下がったような錯覚。
バルナザールは言葉を失い、レオンの唇だけを見つめる。
「名誉、名義、および資産の三割。これらはすべて不可侵の領域へ隔離されます。
感情は挟まない、純粋な計算結果です」
レオンがタブレットを操作し、ヴァルプスの魔力ログを表示する。
昨夜までの乱れた波形は、今や凪いでいる。
「……ですが、この変化は、あなたの承認がなければ起きませんでした。
助ける義理はありません。ですが――切り捨てるには惜しい」
「惜しい……だと?」
「ええ。失敗しましたが、ヴァルプスの設計者としての知見、地獄を知った経営者としての視点――まだ私の事務所には必要です」
画面に簡易的な『顧問契約書』を表示。署名欄だけが青白く光る。
「選択肢は三つ。
破産して消えるか、叔父上に吸収されるか。
……私の顧問として、ヴァルプスの隣に居座るか」
「……ふざけるな。お前の飼い犬になれと言うのか」
眉間に皺が寄るが、目元は微かに震える。
レオンは冷たい指先でタブレットを押し出す。
「条件は今決めなくてかまいません
お父様。必要なのは仕事ではなく、所属です。
署名すれば『失敗者』ではなくなる。
……私という巨大な債務の、共犯者になるのです」
沈黙。バルナザールのプライドが最後の抵抗を試みる。
その時、黙っていたヴァルプスが指先をタブレットに添えた。
表示されていたのは『ヴァルプス自立支援信託・暫定設計図』。
受益者欄は空白、顧問欄のみ確定済み。
「……ここ、空いてる」
「あなたの名前を書いても、ボクは文句を言わない」
バルナザールは低く唸る。
すべてを資産価値としか見ていなかった男は、いまこのとき、プライドと情を天秤にかけ、白い牙で唇を噛んだ。
「くそ」
バルナザールは目を閉じ、天井を見上げたあと、片手を上向ける。
レオンは瞬時にタッチペンを指の間に滑り込ませる。
「さあ、席を確保してください」
指が画面をなぞり、一筋のサインが刻まれる。
『ピロリ――』
無機質な電子音が契約の仮締結を告げ、バルナザールは椅子に沈む。
自分の手がもはや自分の意志で動かない感覚に、指先をそっと擦り合わせた。
かつてヴァルプスに告げた言葉を思い出す――情は契約より厄介だと。
「……延期された、か」
「ええ。……顧問」
立ち上がったレオンの顔には、先ほどまでの冷徹さが嘘のような、美しい微笑みが宿る。
「破産は延期されました。詳細は次回の『家族会議』で詰めましょう」
レオンは一度だけ、サインを終えたバルナザールの左腕を、スーツ越しに握る。
獲物が逃げないように釘を打つ、死神の手つきだった。
バルナザールは一度嫌そうに顔を歪め、視線をヴァルプスに落とす。彼の赤い瞳に浮かぶ微かな喜色を確かめると、そっと手を返した。
こうして、バルナザールはレオンと顧問契約を結ぶことになった。
雪はまだ止まず、白銀の決算は、静かに次のページをめくったのだった。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




