『静かな朝、魔法と帳簿と』③
第3部:午後の白銀と小さな日常
午後の柔らかな光が、雪に反射して室内を白く満たしていた。
温かい室内の中、寝台の上でヴァルプスは膝を抱え、所在なげに目を閉じる。自分はいま確かにレオンの魔紋が刻まれているはずなのに、無意識に首もとを確かめる手が触れる。
「……なんだか、あんまり実感がない」
小さな呟きに、レオンは書類から目を上げず、静かなペンの音だけで応えた。
「それでいいんだ。実感は、後から数字がついてくるものだから」
万年筆を置き、椅子をゆっくりと彼の方へ向ける。
「昨日までの君の役目は終わった。……いや、私が終わらせた。
だから、もう君が何かを背負う必要はない」
ヴァルプスが指先でブランケットの端を小さく握りしめるのを、レオンは見逃さない。立ち上がり、隣へ歩み寄る。寝台の端が静かに沈み、レオンは隣に腰を下ろした。膝上までブランケットを引き上げる動作は、壊れやすい硝子細工を扱うように慎重で、それでいて迷いがない。
「明日あるのは、事務的な後処理だけだ。
君の名前を、この現世の台帳から『完全に自由な存在』として再登録するための、単なる整理だよ」
そっと肩に手を置く。重みを感じさせず、しかし確かな境界線を伝える。
「書類はもうほぼ完成している。……怖い役は、全部私が引き受ける」
ヴァルプスがふっと深く息を吐く。肩の力が、レオンの指先の下でゆるやかに抜けていく。
「午後は少し立て込むから、昼は外で食べよう。
……そのあとは、君の好きなことをしていい」
ヴァルプスはゆっくりと目を開け、目に小さく笑みが戻った。
レオンは短く頷くと、机へ戻る。その背中に、ヴァルプスは安心したように体を沈める。
「好きな、こと……」
小さな呟きに、レオンは軽く微笑む。
ヴァルプスの肩越しに見える雪景色は、凍てついた世界の中で唯一、二人だけの柔らかな時間を映していた。
背後でヴァルプスが再び目を閉じ、深い安息へ沈んでいく気配を感じながら、レオンの視線はすでに明日――そしてその先にある「十月十日」の計算へと静かに沈んでいった。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




