『監査の質量』①
第1部:質量による支配
事務所の扉は、開いたのではない。
空間そのものが、彼の侵入に応じて「歪んだ」のだ。
バルナザールの依代は、レオンの倍はあろうかという巨躯。
黒褐色の肌が街の祝祭の光を撥ね退け、室内に巨大な影を落とす。その影は、まるで空間を吸い込む穴のように、暖色の間接照明すら冷たく変質させていた。
「やあ、君。今日も無事で何よりだ。
……ふむ、少し痩せたか? 食事は済ませたかね。身体は資本だぞ、レオンくん」
労わるような言葉とは裏腹に、バルナザールがソファに腰を下ろすと、古い木製の床が悲鳴を上げた。木目のひび割れに沿って振動が走り、空気が微かに震える。
彼はゆっくりと、隠蔽の術を解く。頭頂から伸びる、ねじれた巨大な黒角。
光を吸い込み、優雅で鋭利な弧を描くその「地獄の象徴」が露わになると、室内の空気は文字通り重く、冷たく沈むように変わった。
雪が窓の外で細かく舞う中、角の黒さはそれを吸い込み、夜の闇より濃い陰影を床に落とす。
レオンは立ち上がっても、視線の高さはソファに腰掛けたバルナザールの胸のあたりにしか届かない。まるで、物理的に支配されたかのような絶望感が背筋を滑り落ちる。
目を細めると、バルナザールの黄金の瞳が、空間全体を透かし見るかのようにこちらを射抜く。笑みはないが、優しさすら感じさせる声が、背中に氷の息を吹き込む。
レオンの指先が微かに震え、体温が一瞬で背中に引き上げられるのを感じた。
「さあ、始めようか……君がどれだけ備えてきたか、見せてもらおう」
その一言で、室内の温度が一層落ちた気がした。紙のざわめきすら、重力に引き寄せられるかのように沈む。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




