『薪の香りと黒い通知』③
第3部:生体信号と管理官の執着
「……レオン」
吹雪の気配とともに、低い声が割り込んだ。
振り返るよりも早く、黒く長い影が視界を横切る。
宿に現れたのはヴァルプスだった。
黒いスーツを着崩したまま、足元の雪も払わず、彼は一直線にレオンへと近づく。
冷たい指先が、ためらいなくレオンの首筋に触れた。
一瞬、薪の爆ぜる音が遠のく。
ヴァルプスの指は脈を探るように喉元を押さえ、そのまま離れない。
無理やり隣に腰を下ろした彼は、至近距離からレオンの瞳を覗き込み、瞳孔のわずかな収縮を確認する。
その視線が、空になった木椀へと滑った。
「……ヴァルプス」
名を呼ぶと、レオンは小さく苦笑した。
首筋に残る冷たさが、不思議と嫌ではない。
管理される感覚と、確かめられているという実感が、奇妙な安心感を伴って胸の奥に沈んでいく。
「……バイタル、正常値に復帰。
……もっと早くに呼んでください。……介入が、遅くなる」
抑えた声だったが、薪の爆ぜる音の隙間に、確かな本音が混じった。
ヴァルプスは一度だけ息を吐き、何事もなかったかのように顔を上げると、器を拭いていたセリオンに視線を向けて短く会釈をした。
セリオンもまた、余計な詮索をせず応じ、二人の前に素焼きの器を置いて薬缶から湯を注ぐ。
その直後、ヴァルプスは自分の前に置かれたはずの器を、流れるような動作でレオンの手元へと押し進めた。自分の冷え切った指先を温めるよりも早く、主の体温を上げることを優先する。それは義務というよりも、彼の身体に深く刻まれた反射のようだった。
「ここは知っていましたが……中に入るのは、今回は初めてです」
「ここは知っていましたが……中に入るのは、今回は初めてです」
湯気に手をかざしながら、ヴァルプスは壁にかかった絨毯へと視線を巡らせる。
冷え切った両手で器を包み込み、熱を逃すまいとする仕草は、さきほどまでの侵入者のそれではなかった。その小さく丸まった背中が、一瞬、過去の光景と重なる。
その横顔を見ながら、レオンは目を伏せる。
——約五年前。
この宿の前で、光を反射する雪景色の中で。泣きそうな顔をして待っていた小悪魔の姿が、ふと脳裏をよぎった。
もう、あの頃の彼はいない。
目の前に居るのは、ただ自分を守ろうと大きく進化した悪魔の男だ。
そう理解しているはずなのに、胸の奥で、微かな名残のようなものが揺れた。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




