第77話:『攪拌 ー 01/23 10:00 執行開始』
第3部:攪拌
一階のカフェテリアではどて焼き屋台が設営され、甘辛い香りが階段や空調を通って十二階まで漂っていた。
――ガタンッ!!
一階テラス席の屋台がクレーンで吊り上げられ、1魔貨パンの電飾看板が火花を散らして点灯する。
A.I.D.A.の承認音と、屋台の重量音、甘辛い匂いが階を駆け上がり、十二階のレオンの耳と鼻を同時に刺激した。
「――レオンちゃん! まいど!
景気のええハンコの音、一階まで響いてまっせぇ!!」
静寂は破られ、承認ルーチンの機械的リズムが、執務室全体の物理感覚とリンクした。
銀のポータルが閉じたわずか数秒後。
メイが磨き上げた静寂を「欲の塊」である金本の声が突き破った。
金本 権左衛門。蓬莱皇国・『浪速マーチャンダイジング連合』から招いた祭事顧問だ。
琥珀色に点滅し、危険信号を発し続けるホログラム。その不気味な光を浴びながら、金本は「ええ色や、夕焼けみたいで縁起ええなあ!」と豪快に笑う。彼の脇に抱えられた「1魔貨パン」の試作トレイが、アラートの光を反射して、毒々しいほどに青く光っていた。
金本はパンの端に歯を当て、のけぞって見せる。
「レオンちゃん、見てや! この蓬莱の叡智「1魔貨パン」のチーズの伸び!
表面にはあんたの会社の紋章をドーンと刻印してな。割ったらチーズが、叔父上はんの、あんたへの執着みたいにドロ〜ッと伸びるんや。
これを1階のロビーで、1枚『1魔貨』で売る。
行列、必至やで!」
レオンは無表情で押し付けられた1魔貨パンを両手で掴み、見下ろした。
「……これが、十億魔貨の正体か」
レオンの鼻先に、揚げたパンの湯気とチーズの「ジャンクな匂い」が捩じ込まれる。レオンはパンを口に入れ、しばらく咀嚼して飲み込んだあと、レオンは油のついた指で金本の企画書に承認印を刻んだ。
「投資した十億魔貨が、今まさに目の前で『物理的な幸せ(あぶら)』に変わった瞬間や!
帳簿上の数字より、こっちの方がよっぽど『現物資産』として信頼できまっしゃろ?
……ほな!また!」
金本が嵐のように去り、ソースの匂いと十億魔貨の脂だけが残された執務室。
その空気を清浄するように、一二階の床から冷たい青い光が吸い上げられ、一人の青年が「同期」するように姿を現した。
シリアル・V・アルト。レオンの影をレンダリングし続ける、創星連邦・多国籍魔導IT企業『エーテル・ロジック』からのエンジニアだ。
「……金本さんのバイタルは、相変わらずノイズだらけですね。
CEO、あなたの心拍数が0.2秒、脂ぎった期待値に汚染されました。……不快です」
アルトは手にしたホログラム・パネルを、レオンのデスクに滑らせる。
そこには、一二階のプライベートラウンジの床を「透過」させ、その直下にアルト専用の『睡眠用高密度サーバー・ポッド』を埋め込む設計図が浮かんでいた。
「一二階の一部を、弊社の『ルテティア第一観測支店』として登記し直しました。
……それと、この床の半透明化を。当ユニットのポッドから、常にあなたの『死の予兆』を真下から見上げていたい。
……外注費に、追加で一五億魔貨、乗せておきますね」
レオンは、十億魔貨の脂が残る指で、アルトの差し出した冷たい光のパネルをなぞる。
「……アルトさんの、好きなように。……床の透過。……承認」
『了解しました、マスター・レオン。
案件一二四番「エーテル・ロジック社・サテライト・ハブ設営」一五億魔貨、承認。
……一二階床面を一部、分子構造を変換。透過率80%へ移行します』
金本が残した脂ぎった承認印のすぐ横に、アルトが冷たい光のログを重ねる。
A.I.D.A.の音声はもはや歓喜の歌のように、一秒間に数十億魔貨の資産を「ガラクタと執着」へ変換し続けていた。
案件番号 | 金額(億魔貨) | 承認
123 █████████ 9.2 → 承認 (蓬莱・霊穀先物予約)
124 ██████████ 10 → 承認 (金本・1魔貨パン&屋台村)
125 ████████████ 15 → 承認 (アルト・サテライトハブ&床面透過)
レオンの足元の絨毯が、水面が凍りつくように透き通っていく。
その直下、十二階と十一階の狭間に、無数の光ファイバーが血管のようにのたうつアルトの「巣」が露わになった。
「……完璧だ。
これで、あなたの心臓の鼓動を、一ミリ秒の遅延もなく計測できる」
アルトは満足そうに頷くと、そのまま自分の「巣」へと沈み込むように階下へ消えていった。
――執務室の「静かな略奪」とは対照的に、ド・ラ・ノワール事務所の全フロアは、未曾有の困惑と欲望に叩き落されていた。
その困惑が、一国の経済を焼き切る「狂乱」へと変わるまで、時間はかからなかった。
社内魔導チャット『レトス』:ログ抜粋
【10:15:異変の始まり】
開発部・主任: 12階の警報が鳴り止まない。マルヴェイさんの直通回線も『物理遮断中』のステータスだし、誰か何が起きてるか知ってるか?
社員A: 屋台村?
社員B: 福利厚生かな。
社員C: いや、CEOの「承認」だ。全部通ってるぞ。
秘書室: ……信じられないものを見ました。ロビーで牛の臓物が煮込まれています。これ、新しいブランディングですか?
広報デスク: 全社SNSに『成金ノイズ』のテストバナーが勝手にプレビューされてる! 消せない! 誰か止めて!
シス基L1: 11階コア・ラボの熱源反応が異常。
CISO: ……来るぞ。
【11:00:システムメッセージ】
『CEOプロトコル:ゴールデン・ハート・バースト』——全ネットワークへ強制配信開始。




