『生存権の決算、あるいは支配者の晩餐』④
第4部:毒の晩餐
会場の喧騒を離れ、オスカルとレオンの二人が向かったのは、オスカルが所有する会員制のプライベート・サロンだった。
重厚なマホガニーの扉を開けると、外の世界の混乱が嘘のような、静謐な時間が流れている。
レオンはあたりをそっと見回した。部屋の奥から、物音一つ立てずに給仕の男が姿を現し、静かに二人へ一礼した。
オスカル以外に、人がいる。そのことにほっとする。
「……見事だったよ、レオン。
あんな署名シーンは、どの投資家の全盛期でもお目にかかれない」
オスカルは上質なクリスタルグラスに注がれた琥珀色の液体を揺らしながら、希少魔獣の皮で出来たソファに深く腰を下ろした。その手つきは優雅だが、瞳の奥には、先ほど壇上で放たれたレオンの「圧」に対する警戒が、まるで澱のように沈んでいるのが見て取れる。
レオンは淡い微笑を浮かべながら、オスカルの正面に座った。その動作一つ一つが、かつての若き聖騎士を思わせるほどに礼儀正しく、しなやかだが、内面では冷徹な計算が滲んでいる。
「お褒めいただき光栄です。
……すべては、叔父様が私に『現世の歩き方』を教えてくださったおかげですよ」
レオンは穏やかな口調で言いながら、トングを手に取り、オスカルのカップに角砂糖を一つ落とす。
その仕草は、気遣うようでありながらも、爪が黒く染まり、力が込められている。魔力の余韻が指先に残っているのか、わずかな震えさえ見える。
「……嫌味かな? 私が教えたのは『交渉』であって、『恐喝』ではない」
オスカルの言葉に、レオンは少し微笑みを深めて返す。
「同じことですよ。相手が最も失いたくないものを秤にかける。
……私はただ、彼らの『命(資産)』を秤に乗せただけです。
叔父様とのオプション契約を『重し』に」
レオンは自分の紅茶に角砂糖を入れた。五個入れ、銀のスプーンで優雅にかき混ぜる。口をつけ、ふっと視線を上げる。
レオンはなにか言われるかと内心身構えたが、オスカルの視線は平坦だった。
青い瞳が、優雅なティーカップの縁越しにオスカルを捉え、瞬間、二人の目が交差する。
叔父と甥。同じ色の瞳が、冷徹な計算を隠すように、しかし互いに深く見つめ合う。
レオンは努めてビジネスの話をしようと、口を開く。
「あなたのおかげで。
現世におけるバルナザールの足場は、三割が『公的な負債』として凍結される予定です。
……叔父様、約束した『第一配当』です」
「確認しよう」
オスカルはレオンが差し出したタブレットを指先でなぞる。
レオンがやっていることは、叔父への「献上」であると同時に、「私はいつでも世界をこう作り変えられる」という静かなデモンストレーションだった。
「……いいだろう」
オスカルはレオンの有能さを認めるようにグラスを掲げた。
「君という資産を、私の『オプション』に加えた判断は正しかったようだ。
バルナザールの反応がどうでるか、興味深い」
「ええ」
レオンは静かに微笑み、叔父から視線を逸らして、味のしない香りだけの紅茶を飲み干す。その笑みの中には、冷徹な支配者の意志がしっかりと宿っていた。
オスカルは気づいていない。
レオンがこうして「良い甥」を演じ、叔父に利益を献上し続けているのは、すべてはヴァルプスを救うための「自己売却」という名の絶望的な投資であることを。
叔父の温かな称賛も、暖炉の火も、レオンの心を温めることはない。
彼の視線の先にあるのは、バルナザールという敵を倒した後に待ち受ける、「叔父という名の檻」への帰還だった。
「 期待しているよ」
オスカルの声が響くと同時に、暖炉の爆ぜる音が二人の間に心地よいリズムを刻んでいた。
それは、二人の間で交わされた完璧な偽装を祝福するかのような音だった。
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誰も居ない暗い部屋で微かに端末が震えた。
『検知回避率:83%』




