『生存権の決算、あるいは支配者の晩餐』③
第3部:検収の聖壇
高級車が「ノーススター・タワー」のエントランスに滑り込む。
扉が開くと、冷たい風が車内に流れ込むが、レオンの周囲の圧力がそれさえ凍りつかせる。
ロビーに待機していたオスカルの私兵たちが最敬礼で迎え、レオンはアメリアに手を差し伸べた。
「行こう、アメリア」
彼女の冷えた手を取ると、レオンの手には不思議な力がこもっていた。アメリアもまた、逃げることをやめた一人の共犯者だった。高速昇降機が上昇を始める中、オスカルは居心地悪く視線を泳がせ、ヴァルプスは無言で背後に従った。
「アメリア、こちらへ」
レオンはアメリアを引き寄せ、指先でその首筋に触れる。それは恋人の仕草のようであり、同時に捕食者の手つきでもあった。
レオンは静かにアメリアを抱き、アメリアはレオンの胸元に額を当てる。
エレベーターが百階を示し、扉が開く。中には、現世の欲望を凝縮したような会議室が広がっていた。レオンが一歩踏み出すと、部屋の空気が一変した。ブローカーたちの談笑が消え、全員が一斉に彼を見つめる。
視線の先に立っていたのは、かつてのエルフの騎士ではなく、漆黒の角を戴いた異形の「執行者」だった。
「——お待たせしました」
その一言に、室内の気圧が一段と下がったような錯覚が広がった。
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レオンは静かに壇上へと歩みを進めた。
逆光に縁取られたそのシルエットは、この世のものとは思えないほど均整が取れており、頭上の黒曜石の角が冷たく光を撥ね返している。
レオンはマイクを手に取ることなく、最初の言葉を放った。
「皆様、まず初めに、訂正があります。
私は皆様に投資をお願いしに来たのではありません」
その声は、深みのあるバリトンを湛えながらも、冬の氷を素手で触るような冷徹さで会場に染み渡るように染み渡った。
最前列で震える一人の男と目が合う。男が握る魔導タブレットが、レオンから漏れ出す「上級悪魔」の圧に耐えかね、パチパチと不吉な火花を散らした。
「私が示すのは、皆様が『生存権』を再取得するための代償です」
レオンの青い瞳がスリット状に細まり、会場内を「査定」するようにじっくりと見る。
魔力を感じ取った者たちは、蛇に睨まれた羽虫のように身動きを止めた。
「本日、私の提示するのは、アメリアという光の依代の公共資産化です。
彼女はもはや、単なる企業の所有物を超えた存在です。
現代経済、魔導通信網、そして我がオスカル卿の支配領域において、彼女は代えの効かない要となる」
レオンが傍らのアメリアへと手を差し伸べると、彼女の銀色の護符が室内の照明を吸い込み、鋭い閃光を放った。投資家たちの瞳に、その不可侵の輝きが焼き付けられる。
誰も口を開かなかった。
魔導端末の駆動音だけが、異様に大きく聞こえる。
「彼女に不利益が生じれば、あるいは、外部資本が不当な干渉を試みれば――システムが作動します。
皆様がこれまで積み上げてきたすべての現世資産は“不浄な負債”として処理され、一夜にして焼却される——すべてが消え去る」
会場全体が震撼し、ざわめきが広がる中、一人のブローカーが必死の形相で立ち上がった。
「そんな、一方的な契約が……許されるわけがない……!」
レオンは冷徹にその男を見据えた。ひとつ、深く、優雅な溜息をつく。その僅かな仕草にさえ、抗いがたい王の威厳が宿っている。
「一方的? いえ、これは公平な決算です。
あなた方は、アメリアの輝きを広告塔として使い、天文学的な利益を貪る」
レオンはそこで一度言葉を切った。
会場が静まり返る。
「ならば、その代償として彼女の『盾』となるのは当然の責務だ」
レオンが放つプレッシャーは、もはやビジネスの域を超え、生命としての格差を叩きつけていた。
「ご覧の通り、すでにお手元の端末には、ド・ラ・ノワール家との連帯保証契約書が送られています。
署名を。拒否権はありません。
……署名しない者の資産は、この部屋を出る前に“価値ゼロ”と判定されます」
その瞬間、葬送の鐘のように無機質な通知音が次々と鳴り響き、電子署名が残酷な速度で埋まっていく。
現世を牛耳るはずの投資家たちは、今やレオンが作り上げた巨大な檻の中で、彼の資産を守り続けるための“番犬”へと成り下がった。
だが、会場の一角から、ひとりの男が立ち上がった。目の前のスクリーンに表示された契約書に震える手を伸ばしながら、彼は叫んだ。
「これは脅迫だ! お前はただの悪魔だ!
こんな契約を――受け入れるわけにはいかない!」
その声は、他の投資家たちをも少しだけ動揺させたが、レオンの反応は冷徹だった。彼は一歩、男に近づき、声を低くして答える。
「脅迫? いえ、これは――『生命』と『資産』の交換です。
私があなた方に与えるのは、無限の利益の可能性。これを手にするためには、全てを支払う義務がある。
あなたはただ、支払いを拒んでいるだけです。
悪魔ではなく、私が提示するのは平等だ」
その言葉は、会場の空気をさらに凍りつかせ、男の目には一瞬のうろたえが見えた。その後、レオンは男を無視し、冷ややかに視線を外した。
「それとも、貴方は――命を賭けて、この契約に背くおつもりですか?」
レオンが冷たく微笑むと、その笑みの裏に潜む冷徹な支配者としての意志が、全ての投資家に如実に伝わった。
男は震える手でタブレットを取り、最終的には無言で署名をしていった。
レオンは唇の端を微かに吊り上げると、アメリアの肩を抱き寄せ、悠然と降壇した。その大きな掌が、壊れ物を扱うような繊細さと、誰の手も寄せ付けないという狂気的な独占欲をもって彼女を引き寄せる。
その足取りは、もはや迷いに満ちた騎士のものではない。己が作り出した檻の完成を確信した、絶対者の歩みであった。
「検収完了です。……叔父様、あとの実務はお任せしてもよろしいですか」
レオンの冷淡な指示に、オスカルは僅かい目を細める。
「……承ろう」
※2026/05/20 大幅修正をしました。




