『生存権の決算、あるいは支配者の晩餐』②
第2部:異形の執行者
邸宅を出ると、黒塗りの高級車が静かな振動を発し、冷たい排気音を立てながら待機していた。車体は魔導端末による精密調整で起動音すらもほとんど無音に近い。
都市の冷徹な空気に包まれ、ひときわその異質さを際立たせている。
後部座席では、オスカルが窓の外を眺めながら、指先で僅かに膝を叩いていた。
レオンが乗り込んだ瞬間、オスカルの動きが止まった。 車内の空気が静かに凍りつき、オスカルの喉が短く鳴る。
「……レオン、君、その角」
「おはようございます、叔父上様。
……驚かせて申し訳ありません。
ですが、これから向かう場所では、この『説得力』が必要になりますので」
レオンはオスカルの様子に真摯な顔を見せた。金の散る青い目でオスカルの目を見つめ返したあと、視線を落とし、手元の魔導タブレットを起動させる。
画面には、現世の株価チャートと、ヴァルプスが仕掛けた「意図的なリーク」の拡散状況が刻一刻と表示されていた。
「今日のプレゼン、反対勢力は三名。……いえ、二名に減らしておきました。先ほど、一人は『再起不能』な不祥事に見舞われたようですから」
淡々と告げるレオンの声に、オスカルは目を細める。
かつての甥は、嫌悪すべきものを、それでも必要に迫られて飲み込んでいた。
だが今、目の前のレオンは違う。
頭上に生えた異形の黒角を隠そうともしないまま、それを「交渉材料」として使っている。
地獄に侵食された青年ではない。
侵食そのものを、自らの武器として最適化し始めた執行者。
その変質に、オスカルは言いようのない空白を覚えた。
本来なら。
この変化は、自分の手で管理し、調律し、導くはずだった。
レオンが地獄に適応するのなら、その最初の毒も、最初の契約も、最初の「悪魔らしさ」も――すべて、自分が与える側であるべきだった。
だが今、目の前の青年には、オスカルの知らない歪み方が混ざっている。
その角も。
その視線も。
感情を切り捨てる手際さえも。
誰か別の存在に、一度深く「内側」を触られた痕跡だった。
「……お前は、本当にあのバルナザールを喰らえるのか」
オスカルの問いに、レオンは窓の外を流れる冬の街並みを一度眺め、薄く微笑んだ。
「喰らう? いえ、叔父上。
……私はただ、彼に『適正な決算』を突きつけるだけですよ」
レオンは自らの黒い角を一度だけ強く弾いた。黒い爪と角がぶつかる硬質な音が車内に響き、沈み込んで散っていった。
「適正な決算、か」
オスカルは少し間を置いてから、再び呟いた。
オスカルの横顔が、どこか空虚に見えた。
レオンは一瞬だけ胸の奥に冷たいものを感じ――すぐに窓の景色へ視線を逸らした。
その思いが何か意味を持つことは、いまは考えたくなかった。
高級車は滑るように走り出す。
窓の反射越しに映るレオンは、美しい男だった。
だがその完成形は、もうオスカルの知らない誰かの手で削られ始めている。
その事実だけが、静かにオスカルの胸の奥を焼いていた。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




