『生存権の決算、あるいは支配者の晩餐』①
第1部:出陣の調律
十一月の朝の光は、ナイフのように鋭く、そして冷たい。
邸宅の寝室で、レオンは鏡の前に立っていた。
現世の偽装を解き、剥き出しになった漆黒の角が、今は傲然と頭上にそびえている。黒曜石の如きその硬質な表面には、部屋の冷気が寄り添っていた。
「……主さま、少し首を傾けて」
背後から伸びたヴァルプスの指が、レオンの喉元にネクタイを滑らせる。鏡越しに映るヴァルプスの瞳は、かつての少年の無垢さを捨て、獲物を狙う獣のような鋭さを宿していた。
「完璧です……」
ヴァルプスがレオンの肩にそっと手を置き、一歩下がる。レオンはただ静かに、金が散る青い瞳を細めた。
「ヴァルプス。ダミーログの状況は?」
「100%の『凪』ですよ、社長。専務が今この瞬間、ボクたちの回線を覗き見ても、見えるのは『おとなしく添い寝をする飼い犬と騎士』の夢だけです」
ヴァルプスは不敵に微笑み、手元をハッキング用の端末へと戻した。
「チェックは常時起動しています。本社のセンサーがボクたちの『バグ』を捉えることはありません」
レオンは短く頷くと、机に置かれた白金のブレスレットを手に取った。
隣室では、アメリアが待っている。壮麗な白いドレスを身にまとい、今日、彼女は「宝石姫」という偶像を超え、世界を縛り上げるための「公共資産」という名の城塞へと昇華する。
レオンは部屋の静寂を切り裂き、迷いなくアメリアの待つ部屋の扉を開けた。
視線が交差した瞬間、アメリアが小さく息を呑む。角を誇示したレオンの威容。けれどその青い瞳の奥に、自分にしか見せない微かな柔らかさがあるのを、彼女は敏感に察していた。
レオンはアメリアの前に静かにひざまずき、その紫の瞳をじっと見つめた。
「アメリア。君がここに立っていることが、今の私の最大の市場優位性だ」
あえてビジネスタームを混ぜるレオンの声には、しかし確固たる誓いが満ちていた。
「今日、君は単なる『女神』ではなく、共に戦場へ赴く『戦友』になる。
……無理に笑う必要はない。ただ、静かに私の隣で、その存在を示してくれ」
アメリアの胸の奥で、かすかな恐怖が完全に消滅し、美しい覚悟へと結晶化した。
「はい、レオンさん」
アメリアはレオンからブレスレットを受け取り、自らの腕に滑り込ませた。
生体認証のビープ音が響き、淡い紫の光が彼女の身体を強力な防護結界で包み込む。
レオンは言葉を重ねる代わりに、アメリアの手を一瞬だけ強く握り、立ち上がった。
完璧な経営者の仮面を再び貼り付け、エントランスへと背を向ける。その背中には、彼女の運命を市場の荒波へ放り込むことへの、言い知れぬ切なさが漂っていた。
「行くぞ。……世界に、私たちの価値を認めさせる時間だ」
※2026/05/20 大幅修正をしました。




