『北極星の名前と、偽証の調律』③
第3部:偽装された調律
深夜。
邸宅のリビングは、月明かりを吸い込んだ底冷えのする静寂に包まれていた。
ソファに深く沈み込み、目を閉じて思考を巡らせていたレオンは、そっと目を開ける。
視界に、音もなく跪く影が映りこむ。
「……レオン、そんなところで寝ていたら風邪をひきますよ」
「ヴァルプス」
「……寝台まで、運んであげましょうか」
ヴァルプスの声は、昼間よりも低く、独占的な響きを帯びて耳を打つ。その響きには、理性のひび割れが隠れていた。
「……いや、いい」
レオンはゆるく首を振った。しかしヴァルプスはそっとレオンに手を伸ばす。それは管理という名を借りた静かな執着を孕んでいる。自分を抑えようとしているのに、手は勝手に動き、レオンの身体に触れようとする。「管理官」としてのルールを無視し、ただレオンを自分の色に染めようとする衝動に、ヴァルプスは葛藤を感じていた。
レオンは顎に手を当てて逡巡しながら、ヴァルプスを見つめる。
「今日は、ずいぶんと感情が漏れてるね、ヴァルプス」
レオンは、薄く笑う。
レオンの手が、伸ばされたヴァルプスの手を握った。その掌はヴァルプスが眉根を寄せるほど熱く、そして魔力の重圧に満ちていた。
「ちょうどいい。それだけ、揺れているなら」
レオンはヴァルプスの手を握りこみ、それから身を乗り出した。
「提案がある」
「……なにを、ですか」
「マルヴェイに教えてもらったんだ。君の脆弱性を」
「と、いいますと?」
「今の君にはバッグドアが、仕掛けられているらしい」
レオンはシャツの胸元から端末を取り出すと、そこから呼び出したホログラムデータをヴァルプスに提示する。
ヴァルプスはデータを覗き込み、目を細める。
「……なるほど」
「これがうまくいけば……バルナザール氏が君と私の繋がりを覗き込んでも、見えるのは従順な人形のフリをした虚像だけだ」
ヴァルプスは短く頷いて、レオンに視線を向ける。
「わかりました」
レオンが意外に思うほどに、ヴァルプスは即諾した。
「……いくぞ」
青と赤の瞳が至近距離で見つめ合う。
「……動くな。少しでも波形が乱れれば、検知される」
レオンの指先から、ヴァルプスの手へ、青い魔力が流れ込む。
体内に浸透するその魔力の熱さに、ヴァルプスの意識が一瞬、途切れそうになる。彼の中で抵抗しようとする意識と、それに抗えず沈み込んでいく自分が、まるで二つの存在に引き裂かれるように交錯していた。
「レオン、これ……熱い」
ヴァルプスが答えた瞬間、レオンはいちど手を離し、それから移動させた。レオンの指がヴァルプスの首筋に刻まれた刻印を探し出し、触れる。
バルナザールが仕込んだ監視痕跡を残したまま、その周囲へ「従順なヴァルプス」の偽装人格を編み上げていく。
レオンはヴァルプスを静かに観察しながら、ヴァルプスに身を寄せる。その目に宿る冷徹さが、ヴァルプスの胸を締めつけるように感じられ、さらにその魔力が深く体内に入るたびに、ヴァルプスはどこか遠くの方で震えるような感覚を覚えていた。
「……私を信じて、委ねてほしい」
レオンが言うその言葉に、ヴァルプスは戸惑いと興奮の入り混じった複雑な感情を抱えているのを、はっきりと感じ取った。レオンの手がヴァルプスの首に触れるたびに、その心がわずかに歪む。
ヴァルプスは、レオンを抱きしめた。
ソファ横の端末が、静かに警告音を放った。
「あ、こら」
レオンは眉を寄せ、ヴァルプスを押し戻そうとするがヴァルプスは離れない。
レオンは視線を動かし、端末を見下ろした。数字は薄く、しかし確かに表示される。その回避率は、静かにだが確実に下降している。
『検知回避率:70%』
「少しでも波形が乱れれば、失敗する。動くな」
「……はい」
端末から短く音が鳴る。それが意味するのは、バックドアが発覚する危険が確実に迫っているということだ。
『検知回避率:74%』
『検知回避率:82%』
レオンの額に薄く汗が浮かぶ。魔力が深く浸透するほど波形が不安定になり、端末の数字が一瞬、78%まで落ち込んだ。
しかし、次の瞬間——ヴァルプスの腕がレオンの背中を強く引き寄せた途端、数字が跳ね上がる。
『検知回避率:100%』
レオンはわずかに笑みを浮かべ、そして低く囁いた。
「……やるじゃないか」
※2026/06/17 大幅修正をしました。




