『夜の共犯、承認札の誓い』①
第1部:
レオンが深い眠りに落ち、規則正しい寝息が宿の一室を満たした頃。
ヴァルプスは音もなく寝台を抜け出し、月光が差し込む窓辺へと移動した。掌にあるのは、鈍く光を返す承認札。指先に魔力を流し込み、特定の固有波長で空間を叩く。
ほどなくして、鏡のように滑らかな虚空に漆黒の影が滲み、ひとりの男の輪郭を結んだ。
――バルナザール。
通信越しに金の双眸がこちらを捉えた瞬間、部屋の空気がわずかに沈んだ。冷気でも威圧でもない。ただ在るだけで、世界の認識がずれるような絶対的な質量。影が定まった瞬間、すべての音が消えた。
「お待たせいたしました。閣下」
「やあ。ようやくあの堅物な男と……無事に初夜を終えたようだな」
画面越しに開口一番言われた言葉に、ヴァルプスはぴくりと眉を寄せた。
「……閣下。その言葉には、語弊があります。ただ、魔力循環のために同じ寝台で眠ったに過ぎません」
「まあ、祝い事と捉えて良いのではないか?おめでとう」
バルナザールは鷹揚に手を数回叩き、にやりと笑う。
「……ありがとうございます」
ヴァルプスは背筋を正し、過剰な丁寧さで礼を返した。
「レオンはご自分の誇りと宝石姫を守るために、自ら鎖に首を通してくださいました」
「そうか……ようやくだな」
バルナザールの視線が、わずかに細められる。金の瞳が、静かにヴァルプスを射抜いた。
「だが君は。勝ち取った者の顔ではないな。もっと喜びたまえ」
「いえ……ボクはただ、契約者を一番いいコンディションで維持したいだけです。
あなただって、上級悪魔という新規資産と、宝石姫という生体資産との縁が欲しかった」
「……そうだね。だが、自由な野良運用を愛する君が、自ら我が社の系譜キャリアに名を連ねるのは意外だったよ。あの男ひとりの身柄を買い取るために、自分自身を現物出資するとは。ずいぶんと安い叩き売りを演じたものだ。
……おかげでこちらは、随分と不確実性の高い不良債権を抱え込む羽目になったがね」
金の瞳が愉しげに細められる。ヴァルプスは内心で毒づきながら、鉄面皮を維持した。
「では、本日付で悪魔界での君の役職は『バルナザール直属・現世特別管理官』として周知する。
これで他の派閥――あの頭の固い理性派の連中も、お前という奇抜な進化を遂げた検体には指一本触れられまい。」
「お手数を、おかけいたします」
「さて、気になる業務の内訳だがね」
バルナザールは指を一本立て、楽しげに笑みを深めた。
「主なタスクは二つ。一つは、我が組織の重要資産となったレオンの監視、および彼の魔力の定期報告。
……そしてもう一つは、宝石姫の力を我が派閥の利益へと還元するための『パイプ役』だ。必要とあれば、宝石姫から溜め込んでいるであろう素材を上納してもらう」
ヴァルプスは姿勢を維持したまま、聞く姿勢を見せた。
「つまり君は今日から、彼らの一番近くでその身柄を守る防壁であり――同時に、彼らをこちらの都合でいつでも絞り取れるよう首輪を握っておく、我が社の忠実な番犬というわけさ」
「……はい」
防衛権を手に入れた一方、背負ったものは大きい。それでも、前に進むしかなかった。ヴァルプスは静かに拳を握り込み、ただその感情を喉の奥へ押し込む。
「……ああそれと。ヴァルプス。我が部門は中途入社の身内に甘くはないぞ」
「はい……?」
ヴァルプスが眉を顰めるなか、大悪魔の口元に肉食獣のような獰猛な笑みが浮かんだ。
「お前はもともと小悪魔だ。たいした知識しか学んでないだろう。我が本能派を名乗るなら、それ相応の品性は学んでもらう。後日、私か、あるいは私の息子たちから徹底的な実務教育を受けてもらう。……現場のOJTで体得せよ」
ヴァルプスは思わず息を詰めた。
「……ちょっと待……お待ちください。あなたの、家族と……?」
「なにが不満だ。彼らは私に似て教育が上手い。それとも、虐められるとでも思ったのか」
「……いえ」
視線をそらすヴァルプスに対し、バルナザールは顎に手をあて目を伏せる。しかしすぐにふてぶてしい顔つきに戻ると、画面越しに人差し指をヴァルプスに突きつけた。
「とにかく。手配はする。
……それから。情は契約のコストが嵩むと、前に言ったはずだ。それを選んだのだ、ヴァルプス、君だ。その熱を失わず、完璧にリスクを制御し、あの男を管理せよ」
背後の寝台で眠るレオンの姿を振り返り――これも全て、彼のためだと思い直す。
「畏まりました。仰せのままに」
「……よし。ちゃんと管理するんだぞ」
ほんの一瞬、口元に強烈な皮肉を浮かべ、バルナザールは大仰に腕を振る。途端に、影は霧散した。
空間が元の静けさを取り戻した瞬間、ヴァルプスは大きく息を吐き、どっと押し寄せた疲労感に肩を落とす。
のろのろと寝台に足を進める。レオンは、まだ深く静かに眠っていた。その寝顔に、ヴァルプスはそっと手を伸ばしかけ、やめた。
支配、管理――そんな乾いたシステム言語だけでは、この胸の熱を説明できない。
ヴァルプスは寝台へ戻り、眠るレオンの左手を探る。契約に基づいた魔力循環のためとして、そっとレオンの手に指を添えた。
「レオン。ボクはただ……あなたに、誰よりも静かでいてほしいだけなんですよ」
相手には届かないと確信したうえで、レオンの耳元で囁く。レオンは長耳を動かし、微かに眉根を寄せて煩わしそうに腕を上げてヴァルプスの額に肘を当てた。
「……っ!」
殴られた痛みに悶えながらも、ヴァルプスは自分よりも温かい手の温度を噛み締める。
じんじんとする額を抑えながら、悪魔は静かに目を閉じた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録のアーカイブ版です。
※2026/05/21 大幅修正をしました。
※2026/09/25 大幅修正をしました。




