第68話:『電子のピクシー ー 01/22 09:59執行開始』
第2部:電子のピクシー
一月二十二日 九時五十九分
レオン、ヴァルプス、マルヴェイが執務室に待機していた。
どことなく緊張した面持ちのマルヴェイは、壁に背を預けながら、召喚した使役AI『C.O.L.L.A.T.E.R.A.L』を胸元で撫でながらホログラムモニターを展開させていた。ヴァルプスはレオンの斜め後ろで魔導タブレットに指先を滑らせている。
レオンは机で会議資料を読んでいる。ーーと、執務室内のホログラム・ディスプレイが突然バグ(グリッチ)を起こした。
マルヴェイが空中に浮かせた半透明の魔導基盤に両手をかけ防御魔法プロトコルを走らせる。
白いモザイクのかかった魔導タブレットの表示に目を細め、ヴァルプスはそっとレオンの背後についた。
高周波の駆動音とともに、空中を舞うホログラムが、一瞬で「ノイズの塊」に変貌する。
執務机の端、高級な万年筆のすぐ隣に、ブロックノイズが集まって30センチのヒトを形成した。
「……見つけた! 最高の『ノイズレス・データ』!
ピクセル、こういう静かな波形、大好きですよ!」
グリッチ・ピクセル。
プリズム・ホワイトの髪をデジタルノイズのように揺らし、レンズ・ゴールドの瞳をカチカチと鳴らしながら肩に飛び乗り、レオンをスキャンした。
オーバーサイズの白い服には、SNSのバズりフレーズが株価チャートのようにリアルタイムで流れている。
「やっほー、レオン様!
マルちゃんから『最高にバズりそうな絶望』があるって聞いて飛んできたよ。時間通りだよね?
近くで見ると、その顔、10億インプレッション確定の『聖なるCEO』だね!保存していい?」
レオンは自分の肩の上で勝手に跳ね回るこの小さな妖精を、指でつまみ上げたい衝動を抑え、CEOとして対峙する。
「……君がグリッチ・ピクセルか。
マルヴェイの防壁を破った電子のピクシーか」
レオンの言葉が終わるより先に、虹色の光を放つ粒子がレオンの視界を舞った。
ネオンブルーのデジタル・ウィングを羽ばたかせ、小さな妖精がレオンの鼻先に飛び込んできた。
「はじめまして! 気軽に『ピクセル』って呼んでよ。
あ、でもレオン様が特別に『ピクちゃん』って呼びたいなら、それも公式タグ(オフィシャル)に登録しちゃうけど? どう?いいでしょ?」
グリッチ・ピクセルは、レオンの鼻先数センチで、ホバリングしながら首をかしげた。デジタル・ウィングが羽ばたくたび、0と1の火花がレオンの頬をチリチリと掠める。
「……ピクセル、と呼ばせてもらおう。
……用件はマルヴェイから聞いているね?」
部屋の隅で魔導基盤を真顔で操作し続けるマルヴェイをちらりと見て、ピクセルは笑顔を作る。
「正直ダルいなあって思ってたんですけれど、レオン様に実際に会ってみて気が変わりました!
いいでしょう!お引き受けします」
ピクセルはレオンの顔から一歩下がり、虹色の粒子を撒き散らしながら、羽を震わせてその場を軽やかに移動した。
レオンは、耳元で鳴る高周波の羽音に目を薄く閉じる。
「……報酬は、未定だったね。魔貨でいいのか。
……予算の範囲内なら、いくらでも計上しよう」
「あはは! レオン様、お金なんてデジタル・ノイズだよ。
僕たちが欲しいのはね、あなたの『誰にも見せないつもりだった涙』や『心折れかけた瞬間の吐息』。それを僕たちのメモリの最深部に保存させてほしいんだ。
壊れた音、そのまま記録するみたいに」
レンズ・ゴールドの瞳が、獲物を定めるようアイリスを絞る。
「ねえ、レオン様。二十四時間垂れ流しなんて、ださいことしないよ。
でも、僕たちをあなたの『一番近い場所』に置いてよ。
あなたが『一番惨めで、一番美しい瞬間』を見せたその0.1秒だけ、僕たちのレンズを自動起動させて、
それを僕たちだけの指先で、魔法に変えてあげる」
レオンの背後で、ヴァルプスの殺気が空気を軋ませ、物理的な重圧となって迫る。
「……レオン。……この羽虫、やはり今すぐ『物理消去』すべきです。
……あなたの感情を、私物化させるなど……!」
「……待て、ヴァルプス。……実務だ」
レオンは、ピクセルのノイズを片手で制し、背後で殺気を研ぎ澄ませているヴァルプスへと向き直った。
「……ヴァルプス。二月の決算発表で、新たな大規模事業を公開する。
……叔父上を主演に据えた、伝記映画の制作だ」
「……は? 叔父上を、主演に……?」
その驚きが、一瞬、心の奥に冷たい波紋を広げた。
案の定、ヴァルプスの赤い瞳に戦慄が走る。レオンは事務的なトーンを崩さず、言葉を重ねた。
「……勘違いするな。これは『資産保全のための隔離策』だ。
ただし、私の『資産』が安全であれば、それに付随する『利益』も確保できる。
彼をカメラの光の中に引きずり出し、『高潔な伯父』という虚像を世界に定着させる。そうなれば、彼は自分の評判を守るために、私への私的な干渉を法的に自制せざるを得なくなる。
……ピクセルは、その『檻』を作るための専門器具だ」
レオンは一度だけ、ヴァルプスの強張った拳にそっと手を重ねた。
「……撮影中、私の側を片時も離れず監視してほしい。
……君の目が光っていれば……私を守れるのは、君だけだ。
……引き受けてくれるか?」
ヴァルプスは、レオンのその「下心が透けて見えるほど必死な眼差し」を、数秒間、無言で見つめ返した。
(……あぁ、また。レオンはまた、すべてを一人で抱え込もうとしている。
……ボクを遠ざけるための、あまりにも不器用な『偽装』だ。
でも……)
ヴァルプスは、レオンの嘘をすべて理解した上で、あえてその「檻(映画)」の中に、看守として飛び込む決意を固める。
「……承知しました、レオン。
……あなたが言うのなら、その『虚像の檻』、ボクが世界で最も強固なものに仕上げて差し上げましょう」
「……ああ、頼りにしているよ」
レオンは、冷たくなった自身の指先を机の下で隠し、ピクセルに冷徹な視線を投げた。
「ピクセル。契約だ」
ピクセルの契約に手を差し伸べながら、レオンはその視線を冷徹に投げかけた。感情の動きは一切なく、まるで人間でないかのような機械的な一貫性が、彼の存在そのものであった。その瞬間、部屋の隅のマルヴェイが顔を歪めていたが、誰もその表情を気にかけない。彼の手が、まるで自分の体の一部であるかのような魔導基盤に無駄なく滑り動く。マルヴェイの孤独な戦いは続いていた。
ピクセルが小さな両手でレオンの褐色の人差し指を抱え込んだ。彼のレンズ・ゴールドの瞳が「カシャッ」と絞りを絞る音を立て、ネオンブルーの羽根が激しく明滅する。
「……ん。……レオン様、あなたの指先、氷みたいに冷たいね。
……でも、その奥で熱いログ(情念)が脈打ってる。
……最高にエモいよ」
ピクセルは恭しく頭を垂れ、レオン様の指先に唇を寄せた。その瞬間、レオン様の視界に一瞬だけゴールドのデジタル・ノイズが走り、脳内に直接「契約完了(Access Granted)」の無機質なタイピング音が響いた。
レオンは指先から、自分のプライバシーが吸い出されていくような感覚に眉根を寄せる。
――その瞬間、マルヴェイの指先が一層速く、激しく動き始めた。彼の目は、ホログラムに映る攻撃の痕跡を追い続け、血のように赤く染まったコードが指先を縫っていく。冷静さを保つために必死で心を無にしようとするが、他の誰にも理解されないこの戦いが、痛いほど胸に響く。
視界に映るのはただのコード、ただの数字。マルヴェイは思わず息を呑んだ。だが、もう耐えられなかった。
ピクセルは満足げに唇を離し、レオン様の肩に飛び乗った。
ヴァルプスの殺気が、静電気を帯びたグリッチの翼を叩こうとする。だが、グリッチの身体は一瞬「ブロックノイズ」のように崩れてヴァルプスの手をすり抜け、今度はレオンの顎に小さな手をかけた。
「……おやおや、管理官さん。
ピクセルをデリートしたいんですか?
無駄ですよ、ピクセルはここに実在していません」
「……羽虫が」
忌々しそうに目を細めて見下ろすヴァルプスに対し、ピクセルは片目をつぶってみせる。
「どうせ、ヴァルプスさん、僕たちをデリートなんてできないでしょ?」ピクセルはそう言って、あざ笑うようにヴァルプスに向けてにっこりと笑った。
ピクセルがあまりにも挑発的に笑った瞬間、レオンの目に一瞬だけ微かな動揺が走ったが、すぐにその感情を抑え込む。まるで無機質な機械のように、表情を凍りつかせ、冷徹に視線を投げかけた。
ヴァルプスは、その目をピクセルに向けたまま、一度、深く息を吸った。その瞳は真紅に染まり、まるでピクセルを焼き尽くすかのように光り輝いた。
「さあ完了! これでピクセルとレオン様は期間限定の『共犯関係』。
……マルちゃん、見てた?
レオン様の『最深部』に、僕たちも乗っちゃった!」
「くそっ」
マルヴェイはまだ熱を持っている魔導基盤を、乱暴に空間へ掻き消した。
常に完璧に整えられていた首もとの銀のタッセルが、今の激しいタイピングで乱れている。
「……ピクセル。あなたが『絶望』を世界にバラまくというのなら、そのデータはすべて私のサーバーを経由させる。
……私が許可した『綺麗な嘘』以外、一ピクセルも外には出さない。
……もちろん、『生の、本当の絶望』を啜っていいのは、同期している私だけだ」
「わかってるよ。そういう約束だもの」
「……レオンの肩に乗るのも、耳元で囁くのも、秒単位でログ(記録)を取っているからね。
……あまり『ログイン』が過ぎるようなら、君のネオンブルーの羽根を、一枚ずつデジタル・ゴミ箱(ゴミ箱)に放り込んであげるよ」
「わかってるよ……マルちゃん」
青ざめた顔で睨みつけるマルヴェイにたいして、ピクセルは白い牙を見せながら笑った。




