『公証人の屈辱と、名前の奪還』④
第4部:泥の顔
太陽が金融街を照らし、硝子張りの高層建築にその光が反射している。
街路には急ぎ足の人々の足音、伝令の精霊、遠くで響く鐘のような電子音——取引の熱気がまだ冷めやらぬ中、街全体が微かにざわめいていた。
だが、その賑わいが遠く感じられるほど、レオンのいる空間は静寂に包まれていた。
地獄の役所から持ち帰った受理書類を金庫に納め、レオンは静かに洗面台の前に立った。
陽光が窓から差し込む中、その光が洗面台の周りを照らし、反射した光が、どこか不自然に冷たく輝いている。
レオンはネクタイを緩め、鏡を凝視する。
鏡の向こうには、かつての面影を残すエルフの顔。しかし瞳孔はスリット状に縦裂け、爪は黒光りし、頭頂には角が芽吹いている——人間の姿とはもう違う。
「……泣き顔、とは。どう作るんだったかな」
口角を下げ、目元を熱くしようと試みるが、鏡の中の自分はただ奇妙に顔を歪ませるだけだった。
思い出せない。だが、困惑も悲しみもない。ただ、必要がなくなっただけだ。
レオンは薄く笑う。歪な微笑みは、自嘲でも誇りでもない。あるべきことをやった者にのみ許された、静かな自己承認の印だ。
爪の黒光りに視線を落とす。泥を啜り、契約にまみれ、地獄の役所を欺いてきた日々の証。
角の硬質な感触を指先で確かめる。それは屈辱でもなく、達成感でもない。ただ、この道を選んだ結果だ。
「屈辱……でも、私が決めたことだ」
誰かの期待に応えたわけではない。旧き家紋でも、監視官の目でもない。
すべては自分自身の意思に従い、必要なことを遂行した結果。
「すべて、私の選択。……そのはずなんだ」
鏡の向こうの青い瞳に、かすかな光が宿る。
地獄の制度を欺き、愛する者たちを守るために作り上げた、自分だけの仕組みの証だ。
深く息を吐き、ネクタイを外す。昼の明るさが窓越しに差し込むが、鏡の前には暗い影が広がり、レオンの姿を包み込む。
その影の中で、変異した肉体の鼓動と共に、静かに息を整える。
この瞬間、明日を支えるための唯一の余白が、彼に許されているだけだ。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




