第65話:『毒と熱の同期ー 01/22 03:03 執行開始』
第3部:毒と熱の同期
一月二十二日 三時三分
バルトロメが闇へと消えた後、静寂の戻った執務室に、もう一つの影が滑り込む。それはマルヴェイだった。
マルヴェイはレオンが執務机に腰を掛け、乱れたシャツを直している。その行動は淀みなく落ち着いていて、マルヴェイは興味深げに首を傾げた。
「レオン……同期、する?」
マルヴェイの言葉にレオンは足元に視線を向けたあと、小さく頷いた。
「……同期を開始したい。
受け入れ態勢を確保して」
「うん」
レオンがマルヴェイの目の前に右手を差し出すと、マルヴェイはその手にそっと自身の手を重ねた。
重なり合った掌から、精神的廃熱がマルヴェイへと流れ込む。
本来なら、バルトロメの調教を経たレオンの精神は、焼き切れる寸前の回路のように、濁った熱を噴き出すはずだった。
だが。
接続された回線を流れてくるのは、激しい苦痛の奔流ではない。……絶対零度の静寂。
バルトロメの調律によって、レオンの精神は『未処理のログ』すら存在しない、凍りついた空虚と化していた。
「……? レオン、君……」
マルヴェイが眉をひそめる。
「……空じゃないか。
……いや、違う。これは、『読み取りを拒否』されているのか?」
マルヴェイの指先が、レオンの肌の冷たさに微かに震える。レオンの指の間に指先を絡め、強く握りしめるとその時点でやっとじわじわとレオンの熱が届いてくる。バルトロメが施した「簿外処理」は、レオンの排熱機構さえも欺き、苦痛をシステムの外側へ追いやってしまったのだ。
レオンは無機質な微笑を浮かべた。その唇が、冷徹なシステムログには存在しない微かな温度を帯びて、ゆっくりと弧を描く。
『……隠蔽の精度を、上げただけだよ』
次の瞬間、レオンが指先を絡め直すと、せき止められていた『毒』の奔流がマルヴェイの神経系へとダイレクトにプラグインされた。
レオンは青い瞳に悪戯心を乗せて、マルヴェイの両手を包み込む。途端に、マルヴェイへレオンの熱が決壊したダムのように流れ込み、マルヴェイはびくびくと身体を反らせた。それはレオンが屈辱と葛藤を経て、自らの地獄を「兵器」へと変える狡猾な演技を手に入れたという伝達の炎だった。
「んんっ、ちょっと……レオンっ」
目を閉じて身を捩るマルヴェイの腰をレオンは抱き寄せ、執務机の上に座らせる。つい先刻まで、自身の尊厳が『評価損』として切り捨てられていたその天板(解剖台)に、今は共犯者を据え置いている。呪われた場所を、即座に次の運用フェーズへと転用する——それがレオンの選んだ復讐の形だった。
落ちないようにとレオンがマルヴェイの背中に手を回すと、マルヴェイはレオンの胸元で何度か身体を跳ねさせ、目元に涙を滲ませながら笑った。
「……あは、すごいよレオン。
バルトロメの『検品』を逆手にとって、帳簿上の存在を完全に抹消してみせるなんて。
君はもう、誰にも差し押さえられない怪物だ」
マルヴェイの指が、レオンの首筋から熱の残滓をデータとして吸い上げ、淡い青光を放った。それを見守りながら、レオンは絹のハンカチを取り出すと、丁寧にマルヴェイの目元の涙を除去していく。
「……これで、いけるかな?」
「そうだねえ……。
でも、次の決算報告会で、世界中の『観客』の目を逸らすデコイ(身代わり)が、まだ足りないかも」
マルヴェイは昂揚を隠そうともせず、使役AI『C.O.L.L.A.T.E.R.A.L』を召喚した。ボルドーの光を放つその出現に、レオンの専属AIであるA.I.D.Aは、論理を放棄したかのような鋭い警告音を鳴らす。
格上位のAIを前にして、A.I.D.Aは恐れをなした子供のように、レオンの後頭部へ這い蹲り、震えながらその姿を隠した。
「あは、可愛いねA.I.D.A。
まだ、私のコラテラルが怖いのかな?」
マルヴェイは不敵に微笑み、ブロックノイズ混じりのホログラムを展開した。そこには、実体の掴めないデジタルな妖精の残像が、グリッチを伴って不気味に揺れている。
レオンは震える後頭部の端末を庇うように、わずかに顎を引いてホログラムのデータを読み解き始めた。
「……グリッチ・ピクセル。
かつて連邦システムを内側から溶かし、国全体の世論を反転させた、倫理という名の制動装置を焼き切った、最悪の最適解。
……彼を呼び寄せてもいい?」
「……面白い。
その『電子の妖精』とやらが、私の絶望をどれだけのインプレッションに変えるのか、見せてみろ」
レオンの言葉は、バルトロメに凍結されたままの冷たさを帯びていた。
一月二十二日、午前三時。
自らの敗北と屈辱さえも『広報資源』として計上し、新たな汚染源を招き入れる決裁を下した。
レオンの指先は、もはや震えてはいなかった。




