第63話:『慈愛という名の強制終了 ー 01/22 1:00 執行開始』
第1部:慈愛という名の強制終了
一月二十二日 一時
額を撫でる感触に、レオンは薄く目を開けた。薄暗い室内と、視界の端にヴァルプスの顔が映りこむ。
眠るつもりではなかったが、一時的に意識を失っていたらしい。
ヴァルプスに視線を定めると、ヴァルプスは無機質な表情を僅かに歪め、レオンの頬を撫でた。その赤い瞳には己の力の至らなさに対する悔恨の感情が滲み出ていた。
バルナザールの検収により一度洗浄されたレオンであったが、ヴァルプスの再調律により欠損した自己情報の90%を物理的再調律により修復していた。
レオンは無言でゆっくりと身を捩る。寝台に隙間を開けて、その白いシーツの海にヴァルプスを誘った。
「……おいで」
ヴァルプスに向かって左手を伸ばすと、ヴァルプスはじりじりと身体を進めながらジャケットを脱いで畳み、寝台の端に置く。それから無表情でネクタイを外し、シャツの襟を緩めてみせた。
レオンは早く来いと示すため、左手を上向けて人差し指と中指を動かす。ヴァルプスは大型犬が突進するようにレオンの身体の上に覆いかぶさると、ぎゅっと唇を噛み締めてレオンを見下ろした。レオンの首筋に鼻を押し付け、父親の残り香を自分の魔力で塗り潰そうと、浅い呼吸を繰り返した。
「……こっち」
レオンは静かに枕の上に左腕を伸ばす。意図を察したヴァルプスが躊躇いながらもレオンの左腕を枕に寝そべると、レオンの指先が、ヴァルプスのこめかみから耳の後ろへと、一定の周波数を刻む機械的な律動で滑り始める。それは心拍を強制的に鎮静化させるための最適解として機能し、慈しみという不確定要素を排したまま、ただ相手の意識を深い奈落へと誘導していく。
「レオン……」
レオンの顔を間近に見つめ、言葉を紡ぎかけるヴァルプスにレオンは目を細める。
「……ヴァルプス。
君の機能も、一度再起動が必要だよ」
ことさら柔らかい声音でレオンは囁く。その声は、慈愛という名の「シャットダウン命令」だった。
レオンはヴァルプスの頬に指先を滑らせる。
ヴァルプスは抗おうとレオンのシャツを掴むが、レオンの指が髪の隙間に潜り込み、一定の圧で頭皮を刺激するたびに視界が急速に狭まっていく。
主に触れられているという至上の幸福と、バルナザールに負けたという絶望的な疲労。その両方が、ヴァルプスの意識を泥のような眠りへと引きずり込んでいった。
数分後。
ヴァルプスはレオンの指先に陥落し、目を閉じて眠っていた。
長い間、一度も隙を見せなかった「所有権の執行者」の寝顔。
眉間にシワを寄せたまま、それでもレオンの指先に縋るようにして眠るヴァルプスの姿を、レオンはログを削ぎ落とされ、最適化された冷徹な視線で見下ろした。
悪夢を見ているのか、それともようやく訪れた安息に脳が戸惑っているのか。物理的な独占権を主張していた192cmの巨躯は、今や管理者によってスリープモードへ移行させられた、重たい肉塊に過ぎなかった。
「……これでいい。
君が起きていると、二時の訓練に『結界』を張らせてくれないからね」
レオンは、眠ったヴァルプスの髪から静かに指を引き抜くと、自分を「死」の演技へと導くバルトロメの時間を待つために、再び銀の名刺へ視線を戻した。




