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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第60話:『スタンドアロンの境界線ー 01/21 19:50 執行開始』

第6部:スタンドアロンの境界線オフライン・ボーダー


 一月二十一日、十九時五十分


 ド・ラ・ノワール事務所、本社ビルのメインロビーは、夜の金融街が放つ冷徹な燐光に浸されていた。

 残業に追われる行員たちが足を止め、息を呑んでその光景を見守る。


 広大な大理石の中央に、一人、直立不動で立つ男。

 レオン・ド・ラ・ノワールは、一糸乱れぬスリーピーススーツを纏っていた。


 ミッドナイト・ヴィシュヌ・スリーピース。 

 ヴァルプスが十四時から時間かけてレオンを「調律」し、着せ替えた一着だ。 

 限りなく黒に近いミッドナイトブルー。光の加減で、エルフの褐色肌を最も美しく引き立てる「深い夜」の色だ。魔導銀を織り込んだ極細のウールは、バルナザールの放つ威圧を物理的に軽減する防護服でもある。濁り一つないスノーホワイトのシャツの襟を高く仕立て、レオンの喉元を隠す。

ネクタイは鈍く光るサファイアブルーで、これもヴァルプスが選び抜いたものだ。


 バルナザールの前では、1マイクロメートルの服の皺も、『綻び』として読み解かれる。 

 午前中の喧騒も、地下での「不純な同期」も、今はもう表層には見えない。ただ一振りの、精錬された刃のような男の姿がそこにあった。


 ロビーにそびえ立つ柱から、マルヴェイとヴァルプスが連れ立ってレオンの姿を見守っている。ヴァルプスの手元にはA.I.D.Aのクリスタル端末が握られていた。

 彼らは一度は覚悟してレオンを送りだすことにしたものの、拭いきれない不安からふらふらと羽虫のように集まってきた者たちだった。


「……レオン。心拍数が三ミリ秒、遅延しているよ? 

 緊張のバイパス(排熱)、ギリギリまで手伝っておけば良かったかな?」


 マルヴェイの粘つくような声が空気を震わせる。それに対し、背後に控えるヴァルプスが、殺気すら帯びた「正妻」の静寂をもって応えた。


「……マルヴェイさん、黙りなさい。 

 レオンは今、一滴の不純物も許されない『検品デート』へ向かわれるのです。 

 あなたの汚い同期ログをこれ以上上書きするのは、管理官として許容できません」  

 

 ヴァルプスにとって、主を「一人で」、現世ロジックが通じない大悪魔の元へ送ることは、心臓を素手で握り潰されるに等しい屈辱と恐怖だった。 

 

 十九時五十九分五十五秒。


 ロビー中央の空間が、硝子が割れるような音を立てて歪んだ。

 バルナザールが送り込んだ専用の魔導ポータル――光を一切反射しない「漆黒の鏡」が、音もなく顕現する。それは入り口ではなく、底知れぬ胃袋の口のようだった。


「……レオン……っ!」


 ヴァルプスの呼びかけを背中で切り捨て、レオンは一歩、その闇へと踏み出した。ポータルを潜った瞬間、地上の喧騒が、重力さえもが消失する。


『警告:外部通信、全チャネル遮断。 

 ……これより、顧問バルナザールの管理ドメインへ移行します。

 接続……二十秒後オフライン』


 A.I.D.Aの無機質なアラートが、レオンの脳内で孤独を確定させた。



--



『……接続断オフライン


 その無機質な宣告と同時に、世界から色が消えた。


 一秒、あるいは永遠のような無音の浮遊。


 視界が開けた瞬間、肺腑はいふを刺したのは、凍てつくほどに澄み切った、だが逃げ場のない「静寂」だった。

 そこは地上数千メートル。雲海のさらに上層に浮かぶ、硝子ガラスと魔導回路で編み上げられた浮遊庭園――『オブザーバトリー・ケージ』。

 足元を透過する強化硝子の向こう側には、冬の夜の金融街が、まるで回路基板に散らばる宝石の屑のように冷たく瞬いている。下界の喧騒は一滴も届かず、ただ、空気を震わせる巨大な魔力炉の低い唸りと、薄い酸素を循環させる加湿システムが吐き出す、微かな白い霧だけが空間を支配していた。


「……やあ、レオンくん。待っていたよ」


 二メートルを超える巨躯きょくが、個室の低い天井を物理的に削り取るような圧迫感を放っている。彼が動くたびに、重厚な黒檀のステッキが硝子の床を「コツ……」と叩き、その余韻が、レオンの心拍数を強制的に書き換えるようなリズムで響き渡った。


 バルナザールの金の瞳が細められる。それは愛を囁く眼差しではなく、高価な競走馬の筋組織を透視し、その資産価値を冷徹に値踏みする「鑑定士」のそれだ。


「Ping(定時連絡)越しでは聞き取れない、君の『吐息の周波数』を楽しみたかったんだ。 

 ……今日は一段と、複雑な……そして、実に『不純』な味がするね」


 バルナザールが音もなく歩み寄る。漆黒の肌と金の瞳、そして深紅のベルベットが、星のない夜空に鮮血をぶちまけたような色彩を放っていた。レオンは、自分の喉元に氷の刃を突き立てられたような寒気を覚えながらも、ヴァルプスが数時間かけて磨き上げた「CEOの鉄面皮」を死守し、一歩も退かずに微笑を返した。


「……お待たせしました、顧問。

 今夜の『検収』、お手柔らかにお願いします」


 レオンの言葉が、密閉されたケージの冷気の中に溶けて消える。その声に、震えはない。 

 レオンは脳内の生存本能エラー」を一つずつ無機質なアーカイブへ放り込み、自分を「ただの数字(資産)」として定義し直すことで、この怪物の前で正気を保っていた。


 一月二十一日、二十時。


 ヴァルプスの管理も、マルヴェイの共振も届かない、絶対的な捕食者の領土での「監査」が、静かに幕を開けた。




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