『氷闇の経営者』④
第4部:檻を越えた城塞
悪魔界魔王本社、バルナザール専務の執務室。
ガブリエルが這う這うの体で持ち帰った「320%」の数字。
それが表示されたホログラムを前に、バルナザールはしばしの沈黙を貫いた。手にしていたクリスタルグラスを、ゆっくりと黒檀の机に置く。
「……おやおや……本当に……可愛くないほど『優秀』になるじゃないか、レオン」
バルナザールの口から漏れたのは、先ほどレオンがガブリエルに向けたものと同じ、猛毒のような揶揄だった。彼の視線はモニターに映し出されたレオンの側頭部──鈍く光る黒曜石の角──を凝視する。
「あの子は、私の用意した地獄の檻ではなく……自分の作った『ド・ラ・ノワール』という名の城塞に引きこもったのか。
エルフの誇りなどというゴミを捨て、私と同じ、あるいは私以上に醜悪で――そして美しい『経営者』の顔をして」
バルナザールの指が、モニターの中のレオンの冷徹な微笑みを愛おしげになぞる。だが、その指先はわずかに震えていた。
かつて見た、今にも壊れそうな「悲劇の騎士」の面影など微塵もない。
あるのは、自分を喰らい尽くし、対等な位置まで這い上がってきた次世代の怪物の胎動だけだった。
「いいだろう。Q4の最終決算、私も直々に立ち会わせてもらおう。
その『320%』という数字が、私への手切れ金か、それとも私の首を撥ねるための刃か……。
この手で直接、検収してやる」
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一方、現世。ド・ラ・ノワール事務所。
「レオン。ガブリエル氏が悪魔界第八ポータルを通過しました。
追跡信号、正常に消失。
……本社のデータベースへの同期も始まっています」
ヴァルプスが魔導タブレットを閉じ、レオンの傍らで報告する。
その声には、大きな山場を越えた安堵と、主への誇らしさが混じっていた。
レオンは微かに肩の力を抜き、深く革張りの椅子に身を沈める。
サングラスを外したその瞳は、ガブリエルの前で見せた冷酷なマシンのような輝きとは裏腹に、窓の外──厚い霧雨の雲の向こう、自分を導く北極星を探すかのように、一瞬だけ優しく空を見つめた。
「……ヴァルプス。忙しくなるよ。
君の『完全な自由』を、奴らの貸借対照表から力ずくで毟り取ってやる。
不渡りなど、出させるつもりはない」
「はい。……どこまでもお供します。
例え、この数字がゼロになる日が来ても」
ヴァルプスは目を伏せて、主の肩越しに視線を落とす。
二人の間に、言葉を必要としない信頼が流れていた。
霧雨は雪へと変わりそうな冷たさを帯び、ド・ラ・ノワールの事務所を静かに包み込む。
『廃棄命令書』の紙屑は、まるで偽物の雪のように静かに箱にあった。その一片一片は、過去という名の負債を完全に清算した証であり、同時に、新たな戦いの序章でもあった。
レオンは椅子に深く腰掛けたまま、僅かに息を吐く。手元のタブレットには、無数の数字とデータが整列している。
「……私が、できるだけのことをしよう」
小さな呟きは、ただ空気に溶けていった。
※本作は、noteにて先行公開していた記録のアーカイブ版です。
※2026/05/20 大幅修正をしました。




