第56話:『不謹慎な祝祭 ー 01/21 10:00 執行開始』
第2部:不謹慎な祝祭
一月二十一日 十時
バルナザールからの「検品予告」という不安を頭の隅に追いやれた頃だった。
執務室の重厚な木の扉が、その精緻な静音設計を無視するような勢いで左右に弾け飛んだ。
「おっしゃレオンちゃん! 景気ええ顔しとるなァ、自分!」
鼓膜を直接叩き割るような、原色の発声。
入り口に立っていたのは、ネイビーというよりは「深海に沈んだ毒」のような光沢を放つダブルスーツに身を包んだ、金本“ゼニガメ”権左衛門だった。
彼はA.I.D.Aの警告音など空気抵抗ほどにも感じていない。
軽やかなステップで最高級の絨毯を蹂躙し、レオンの座る椅子まで一直線に突き進んでくる。
「……金本さん。まだ、お通しする時間では――」
「硬いこと言わんと!
ほら、これ、お近づきの印の飴ちゃんや。おまけしとくで!」
レオンの困惑が言語化されるより早く、金本はレオンの間合いを光速で突破した。
気がつけば、レオンの肩には彼のテカテカしたシルクの袖が回され、鼻腔には濃厚なソースの匂いと、合成甘味料の香りが混ざり合って侵入してくる。
机の上に置かれたのは、NMDUのロゴが入った「太陽の輪」という名の黄色い飴玉が三粒。レオンの300万魔貨のデスクマットの上で、それは異物以外の何物でもなかった。
「レオンちゃん、自分、メールでえらい『ええ子ちゃん』なこと書いてたやんか。
ガバナンス? レジリエンス?
舌噛みそうな横文字並べて、叔父はんから予算引っ張ったんやて?
策士やなァ、ほんま!」
金本の茶色の瞳が、レオンの網膜投影に浮かぶ期待収益率グラフを、一瞥する。
そこにはレオンの人生の残り日数から逆算された、緻密で美しい「死への弾道」が描かれていた。
「……この投資枠(予算)の正当性については、そちらの資料のP14から――」
「あー、ええわええわ。そんなん寝言やろ」
金本はレオンの言葉を、鼻をかんだティッシュのように丸めて捨てた。
彼はレオンの肩をバシバシと叩きながら、飴ちゃんを噛み砕く。室内に、暴力的なまでの「日常の音」が響き渡る。
「……で、レオンちゃん。これ、どこでボケるん?」
「……はい?」
レオンの脳内演算が、数秒間、完全に停止した。
期待収益、市場占有率、リスクヘッジ。レオンが積み上げた「正解」の城壁が、この「ボケ」という理解不能な一言で、音を立てて崩壊していく。
「いや、せっかく叔父はん騙してデカい金動かして、
自分自身の終わりみたいな画を撮るんやろ?
叔父はんがニコニコ主役張ってる横で、自分はどんな“顔”を残すつもりなん?
それ、商売として一番おもんないで」
金本は飴の包み紙をレオンの灰皿に放り込み、虎のような目でレオンの顔を覗き込んだ。
レオンの頬に金本の息がかかる。合成甘味料の香りにレオンはわずかに目を見開いた。
数秒の沈黙。レオンの脳内では、A.I.D.Aが『測定不能なパラメータです』とエラーログを吐き出し続けている。
レオンはゆっくりと、金本の茶色の瞳を真っ向から見据えた。
「……なるほど。
ロジック(正解)を求めているのではないのですね」
レオンは机の上の「飴玉」を一粒手に取り、事務的にその包み紙を剥いた。
そして、甘い香りの塊を口に放り込み、一度、奥歯で静かに噛みしめる。
「金本さん。
……では確認します。金本さんの評価基準は利益ではなく面白さですか」
「両方や。片方だけの企画は死ぬ」
「この企画は、利益構造ではなく反転構造を目的としています」
「だから、それがつまらん言うとんねん」
レオンはそこで初めて、金本を正面から見る。
「では、逆にお聞きします」
「なんや」
「見えている通りに終わらない構造であれば、商業価値は成立しますか。
叔父が主役に見える構造は、前提です。しかし結末はそこではない」
「ほう」
「全てがそう見えるように設計された状態で、最後にそれが裏返る」
間。
金本の目が細くなる。
「……つまり、最初から騙す設計ってことやな」
「正確には、認識の固定です」
「それを面白い言うかどうかやろ」
レオンは静かに答える。
「市場は、あとから理由をつけるだけです」
室内の温度が、レオンの放った「冷たい狂気」で数度下がった。
金本が、飴を噛む手を止める。茶色の目がじわりと金茶に変わり、その瞳が眩しそうに細められた。
獲物の喉笛を見定めた虎のように、鋭くレオンを射抜いた。
「……ええやん。やっと商売の話になったな」
沈黙。
やがて、金本は耐えきれないといった様子で、膝を叩いて笑った。
「それ、客が勝手に物語作るやつやな」
金本はレオンの肩をさらに強く引き寄せ、金色の魔導端末を取り出した。
「よっしゃ契約成立や!
記念に自撮りしよ、レオンちゃん笑って!
死ぬ予定の人間がこんなシケた顔してたら、客が逃げるで!」
強引に向けられたレンズの横で、レオンは「……善処します」と、光のない目で応えた。
レオンの網膜に保存されたその画像は、ド・ラ・ノワールの厳格な家系図のどこにも収まらない、バグそのもののような一枚だった。




