第38話:『一月十四日の損益計算書ー01/14 23:00 執行開始』
第6部:『利息』
一月十四日 午後二十三時
白い花が月光を反射し、真昼のような幻覚を見せる温室の奥の一室。
レオンはシルクの寝台に横たわり、白いタキシードの襟元を緩めていた。
ジャケットの襟部分には、身頃のマットなウールとは対照的な、濡れたような光沢を放つシルクサテンが配されている。レオンがジャケットに手をかけた途端、ヴァルプスがその服を丁寧に回収し、影の中に収納していく。
「……ヴァルプス。くすぐったいのだが……」
レオンの褐色の肌は、月の光と白いシャツに挟まれ、まるで内側から発光する宝石のような硬質な輝きを放っている。
ヴァルプスはその「宝石」の上に覆いかぶさり、契約書の「五月二十日」という日付を、レオンの鎖骨になぞるように指先で書き込んだ。
「これは必要経費(魔力充填)です。
……レオン、あなたはビジネスにおいて『対価』を支払わないことは、最も不誠実だといつも仰いますよね」
ヴァルプスの赤い瞳が、レオンの視線を捕らえて離さない。
レオンは、計算機のように正確な頭脳を必死に動かそうとするが、ヴァルプスの熱い呼気が首筋に触れるたび、ロジックの端々から火花が散って霧散していく。
「……ああ。……そうだね。
……君に……五ヶ月もの『待機』を強いるのだから……」
レオンは、苦悶とも恍惚ともつかない表情で顔を背ける。
乱れた黒髪が白いシーツに広がり、その光景は、誰にも汚されていない「聖域」そのものだった。
だが、その聖域を、ヴァルプスは「管理者」という特権を盾に、執拗に自らの体温で上書きしていく。
レオンは微かに唇を動かした。何かを囁くような、空気の揺らぎをヴァルプスは捕捉する。
興味を引かれたヴァルプスは、レオンの表情を確認するために彼の顔を覗き込んだ。銀の睫毛が、レオンの頬に触れるほどに近寄る。
「レオン?」
レオンの右手がヴァルプスの額に触れ、それからゆっくりと彼の角を撫でた。指から伝わるレオンの魔力がヴァルプスの角を刺激し、ヴァルプスは軽く目を伏せる。
あまりにも優しく丁寧に撫で続けるものだから、淡い郷愁を感じてヴァルプスが小さく笑う。するとレオンは震える手のひらで、ヴァルプスの逞しい胸板を押し返した。
緊張をのせた顔つきでレオンは困惑するヴァルプスをぐいぐいと押し倒し、ヴァルプスの角の根本に唇を寄せる。
乾いた音を何度かたててヴァルプスの角と皮膚の合間を吸い上げたあと、今度はヴァルプスの白い頬に口付ける。
驚いて体を強張らせるヴァルプスの顎に両手を添えて、レオンはヴァルプスの唇に軽く口付けた。
それは二人にとって、初めて行われた行為だった。
唇を離したレオンは、力の抜けた手でヴァルプスの首にしがみつき、その肩に顔を埋めた。
白いタキシードの胸元が、激しく波打つ鼓動を抑えるために揺らいだ。レオンの抑えきれない感情が、微かな負荷となってヴァルプスの心臓を締め付ける。
「……これ以上は、私が、私でいられなくなるみたいだ。
今夜は、ここまでで、いいかな…?」
ヴァルプスは満足そうに、けれどどこか切なげに、レオンの背中を大きな腕で包み込んだ。滾る自分の欲望を抑え込みながら、レオンの首もとの匂いを嗅ぐ。
ヴァルプスの赤い瞳が、獲物を狙う熱から、深い困惑と……そして、どうしようもないほどの慈愛へと色が溶けていく。
「ずるいお方だ。そんなふうに頼まれて、ボクに何ができるとお思いですか」
ヴァルプスは深く溜息をつき、レオンの肩に顔を埋めた。
「……承知いたしました。今夜の検収は、その『震える唇』までで確定します。
……その代わり、朝までこうしてボクの腕の中で、ボクの熱に浮かされていてください。
……それが、今夜のボクへの最低限の報償です」
「うん」
温室に降り注ぐ月光と花びらだけが、二人の「未完の夜」を見届けていた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。




