第28話:『潜伏する静かなる確信ー01/02 4:00 執行停止(あるいは強制終了)』
※今シリーズで一番イチャイチャしています。
第1部:強制休眠
一月二日 午前四時。
レオンは新年早々の執務室で、一通のメールを書き上げた。
アメリア基金の莫大な余剰利益を、自分自身の「アーカイブ化」に投じるための、極めて精緻なビジネス文書。
「……よし。これで、種は蒔いた」
送信予約を終えたレオンは、軽く目元を押さえる。
睡眠不足で軽い頭痛がする。いい加減身体を休める時間が必要になってきているらしい。
レオンは自分の頬を軽く叩いてから、休憩前の確認へ移行する。
指先ひとつで画面を切り替えた。そこには、複数のダミー会社を経由して、個体名『ヴァルプス』が代表を務める休眠会社へと吸い込まれていく、アメリア基金の「塵(端数)」の奔流があった。
「一回あたりの送金額は、監査の網にかからない極小値。
だが、二十四時間三百六十五日の高頻度取引(HFT)を繰り返せば、十月にはヴァルプスを一生養うに足る『聖域』が完成する」
レオンは、ヴァルプスがキッチンで鼻歌を歌っている気配を感じながら、満足げに目を細めた。
「……君は、ただの『1魔貨のゴミ』を拾うだけでいい。
そのゴミを維持するためのコストは、今この瞬間、叔父上の財布から静かに引き落とされているのだから。
十月には、そのゴミが、君のための小宇宙となる」
(……ふっ、睡眠不足という名の毒に、思考が侵食されているようだ)
自分らしくないセリフを言ったかとレオンは目を伏せ、元々こんなやつだったかな、と自分の頬を撫でた。
そのとき、ヴァルプスが皿を置く手を止め、背後からそっと近づいてきた。
赤い瞳はうっすら甘い色を帯び、微かに傾いた首が、彼のハイテンションに気づいていることを示す。
今まで、ヴァルプスは自分の悲しみや苛立ちを吸収してくれていた。だが――今、軽い高揚、ほんの少しの喜びを覚えた瞬間、ヴァルプスの肩がわずかに震えた。
「……レオン、嬉しいの?」
その声に、レオンは自分の手のひらを見つめ、思わず口元が自然に緩む。
契約第1条による微かな負荷がヴァルプスの身体にかかり、ヴァルプスは淡く微笑む。
レオンの喜びが、ヴァルプスに跳ね返った――ほんの微量ではあるが、確実に。
レオンは、上書き契約をしてから初めて自分の「正の感情」がヴァルプスに触れる瞬間を味わった。
目を細めたヴァルプスの肩のかすかな震えは、言葉以上に伝わってくる。
これまではずっと感情を半分預けていた。だが今、彼の微かな反応を感じることが、思わず嬉しく、そして歪んだ全能感をくすぐるのだった。
「……ふっ、いや、何でもない。ただ、計算がうまく回っているだけさ」
「……そうですか。でも……ボクには分かります、レオン」
喜びの負荷を受けながらも、ヴァルプスはそれを受容する姿勢を見せる。
レオンは小さく息を吐き、手を差し伸べる。
ヴァルプスはためらいなく指を重ね、そっと唇をレオンの黒い角に押し当てた。
ヴァルプスの唇が角に触れた瞬間、レオンの意識は想定外のシステムダウンを引き起こした。
初めて分かち合った『喜び』の熱が、彼の鉄の論理回路を過負荷させたのだ
ヴァルプスは崩れ落ちるレオンを軽々と抱き上げ、寝室へ運ぶ。
「お疲れ様です、レオン。
あなたの喜びは、こんなにボクを……熱くするのですね」
ヴァルプスはその穏やかな寝息を聞きながら、微かな満足感を胸に刻みつつ、魔導タブレットを操作する。
眠るレオンの黒髪を指で弄びながら、ヴァルプスは丁寧に寝顔を記録していった。
レオンが意識を失っている間に、送信予約が執行される。
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件名: 【重要/秘匿】今期ポートフォリオの運用戦略および実質的支配権の移転に関するご報告
送信日時: 1月2日 06:00(予約送信による自動執行)
バルナザール特別顧問
新年あけましておめでとうございます。
昨日(元旦)の朝食会におきましては、叔父上の前で一貫性のある『厳しい査定』を演じていただき、誠に感謝いたします。
顧問の『ご指導』により一部資産が凍結されたことで、叔父上の監査対象外となる「隠蔽可能な余剰キャッシュ枠」を、ロジック上確定させることができました。
つきましては、顧問との合意に基づき、本日付で以下の二点を執行いたします。
1. 『DPA計画』における専用アクセス権の設置
十月十日の満期日において、叔父上の監視を回避し、私の「権利(資産50%および意思決定の主体)」を顧問の管理サーバーへ直接デプロイすることが可能です。
2. 監査黙認に対するリワードの預託
本計画を無過失で「Approved」へと導くためのコンサルティング料として、顧問指定の口座へ、運用益の3.5%を継続的に預託・送金いたします。
顧問。
私が最終的に誰の手の中に落ちるべきか――その最適解は、すでに本計画の設計図に組み込んでございます。
今後とも、水面下での円滑なポートフォリオ運用にご協力いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
CEO レオン・ド・ラ・ノワール
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第2部:膝枕とB/S(貸借対照表)
一月三日 午後二時。
ヴァルプスの膝枕。それは極上の弾力と体温を兼ね備えた、本来なら思考を停止させるための聖域だ。しかし、そこに横たわるエルフのCEOの脳内は、依然として世界経済のトラフィックで満たされていた。
「ヴァルプス、見てくれ。……南方の小麦のトラフィックが平年より3%低い。新年の祈りによる物流停滞と見るべきか、あるいは……」
レオンは空中にホログラムのチャートを広げ、真剣な眼差しで空をなぞる。
「……供給不足による価格の高騰は、アメリア基金が保有する製粉セクターの評価益を押し上げる。
……ふむ。神への祈りが多ければ多いほど、私のポートフォリオが美しく整うというのは、実に皮肉な整合性だね」
(……レオン。ボクの膝の上にいるのに、まだ神様と経済の話をしてるんですか?)
ヴァルプスは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、耳掃除用のふかふかの梵天を手に取った。
それからヴァルプスも空中にホログラムを展開し、透きとおった碧海の波をレオンの視界に広げてみせる。
「レオン。今は、波の音だけ聴いてください。
ほら、あの海はあんなに綺麗ですよ?」
「……あぁ、いい海だ。あの水深、そして潮流。Q2の輸送コスト削減の鍵となる要衝だね。新型の大型精霊船も問題なく入港できる。……ヴァルプス、あそこに中継基地を建設した場合の、初年度の減価償却費を算出……」
「――はい、お喋り終了です」
ヴァルプスがレオンの耳の「とある急所」に、ふわり、と梵天を滑り込ませた。
「ひっ……!? あ、あぁ……ヴァ、ヴァルプス……っ!?」
レオンの背筋に細い脊髄反射の震えが走り、空中を舞っていたホログラムのチャートがノイズと共に霧散する。
レオンは褐色の指を空気に泳がせ、切なそうな顔で叫ぶ。
「あ、算出が……。私の、黄金の、ロジックがっ」
「いいんですよ、レオン。難しい数字は、今この波が全部洗っていきました。
……ほら、力を抜いて。……耳の中、こんなに熱くなって。
……そんなにボクの膝の上が、お仕事より気持ちいいですか?」
ヴァルプスはレオンの耳の縁を指先でなぞりながら、さらに深く、耳の奥へと「救済の刺激」を送り込む。
算出すべき数字が頭の片隅でまだ囁いたが、今はヴァルプスの膝の上がすべてを上書きしてくる。
レオンは力なく声を漏らし、ついには抵抗を諦めて目を閉じた。
世界を動かすはずの指先が、今はヴァルプスの服の裾を強く掴んでいる。
その姿を上から見つめるヴァルプスの瞳には、海よりも深く、そして暗い「独占欲」が静かに揺れていた。
第3部:自己評価:S(過剰適合)
一月五日 午前一時。
闇の中、青白いモニターの光だけがレオンの頬を照らす。
彼はハーブティーの湯気越しに、思わず微笑んでしまうほど整った数字を眺めていた。
「……見てくれ、『A.I.D.A』。
この収束……美しい、だろう?」
『肯定。マスターの予測に基づき、資産の流動性は最適化されています』
無機質な音声が応じる。
画面に躍るグラフは、特定の「個体」が消えてもシステム全体が滞ることなく、滑らかに増殖を始める未来を描き出している。
レオンは少し誇らしげに、でも自分をなだめるように微笑む。
指先でモニターをなぞりながら、自分自身の「消滅」がもたらす完璧な配当シミュレーションに、ほんのわずかな安らぎを見出す。
背後ではヴァルプスが静かに手を動かしていた。
レオンが「自由への出口」だと思って設計しているプログラムの裏で、ヴァルプスはそこに「自分だけのロック」を一重ずつ丁寧に重ねていく。
レオンはそれに気づかず、作り上げた『聖域』の数字を眺め、深く息を吐いた。
休暇は終わりが近い。
一月十五日の「Approved」に向けて、レオンは再び、硬く冷たいCEOの仮面を被り直さねばならない。
「さて、明日からまた『凪』に戻る。
……ヴァルプス、君に余計な感情の負荷(熱)はかけたくないからね。
よろしく頼むよ」
レオンが感情を押し殺し、再びビジネスモードへ戻ろうとする宣言をした。
それを受け、ヴァルプスは魔導タブレットをそっと伏せ、レオンの手を取り、指先にそっと、優しく口付けした。
「……はい。でも、あの一月二日の『喜びの熱』
……あれはボクが、一生かけて、そっと温め続けますから」
レオンは「ふっ、大げさだな」と苦笑し、ヴァルプスの真意には気づかぬまま、指先でそっと触れ返した。
レオンのKPI: 自分の消滅による資産の最大化(達成率:90%)
ヴァルプスのKPI: レオンの永久占有(達成率:120%)
…数字の上では達成率が示す以上に、二人の距離は縮まっている気がする。
だがそれを計測できるのは『A.I.D.A』、もしくはーーーーー。
…二人の視界の端で、『A.I.D.A』のモニターが静かに揺れた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録のアーカイブ版です。




