第27話:『所有者(オーナー)への最終配当ー01/01 19:00 執行開始』
第1部:バグが告げた不治の傲慢
一月一日 十九時。
薄暗い路地の奥、小さなランプの灯りの下、セレナの弟子が静かに座っていた。
長い黒髪を後ろでまとめ、落ち着いた紫のローブに包まれたその女性は、レオンを見るや、柔らかく微笑む。
「お忍びのCEO様と伺いました……
それから、セレナ様の教えを、今も大切にしている方だと聞きまして」
レオンは、変装用のフードの内側で、角の付け根にそっと指を当てた。
十年前――占いなど信じず、金貨を積み上げて未来を買おうとした自分の姿が、一瞬だけ蘇る。
(所有ではなく信頼。執着ではなく、愛……だったか)
胸の奥で、叔父の笑顔と、ヴァルプスとアメリアの顔が、計画書の図面のように重なっては離れた。
「こんばんは、お嬢さん」
短くそう言って、レオンは腰を下ろす。
路地裏の冷たい空気が、張り詰めた思考をわずかに現実へ引き戻した。
「……私は、死ねると思うかね?」
占い師は驚いた様子もなく、ただ彼の手に視線を落とした。
「赤いですね」
レオンは視線を追って、自分の手袋を見る。
「見えない糸を、ずいぶん強く握っています。これでは――」
占い師は一拍、言葉を切る。
「あなた一人が消える、という形にはなりません」
その瞬間、レオンの思考が止まった。
(……どういう意味だ)
「あなたが手放したつもりのものは、もう“物”じゃない。
重さです。感情です。……人の心です」
レオンは反射的に、内部計算を走らせる。
(十月に私が消えれば、契約は清算。負債は帳消し。
残された資産は再配分され、彼らは自由になる)
完璧なはずの式が、途中で止まる。
「その状態で『死ねるか』と聞くのは」
占い師は顔を上げ、淡々と告げた。
「ずいぶん、傲慢ですね」
占い師はそっと目を伏せて丁寧に一礼する。
占い師からの慰めは、この男にとっては情報操作と同義だと、彼女は感じていた。
「……傲慢?私が?」
レオンは否定する言葉が、出てこなかった。
端末が短く振動する。
【十分間の空白・終了】
路地の向こうで、護衛たちの気配が休息に戻ってくるのを感じ取り、レオンは息を止める。もうここには居られない。
「……ありがとうございました」
礼を言ったのかどうか、自分でも分からない声で呟き、レオンは立ち上がった。
フードを深く被り直しながら、胸の奥で一つだけ、未処理の問いが残る。
(――私は、本当に“一人で”終われるのか?)
複数の護衛に囲まれ、レオンは防弾仕様の車に吸い込まれる。
さっきまでの「揺らいだ男」の空気は霧散し、車窓に映るのは、冷徹な支配者の顔だ。だが、高級車のシートに沈み込んだレオンの手は、まだ微かに震えている。
護衛車両に囲まれた車内の中で、レオンは占い師の言葉を「非合理なバグ」として処理し終えていた。
(価値がゼロである限り、誰も所有しようとはしない。
――所有されなければ、執着も生まれない。そういう設計だ)
「見落としはないはず……」
レオンは指の節を軽く噛みながら、占い師の言葉を何度も反芻していた。
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第2部:一魔貨のプロポーズ、あるいは遺言
一月一日 二十二時。
邸宅の扉を開けた瞬間、暖房の効いた部屋の匂いがレオンの鼻腔を突いた。
オーバークロックして焼き切れそうだった脳が、その「生活の音」に触れた瞬間、一気に現実に引き戻される。
過剰なまでの「温もり」が体当たりしてきた。
「おかえりなさい、レオン!」
ヴァルプスが、宝石を散りばめたような赤い瞳をきらめかせ、レオンを見下ろした。
その手には、レオンの着替えと、温かいタオル。
「……ああ、ただいま」
「レオン!耳が冷たい! 早く入ってください。暖まりましょう」
心配そうに顔を覗き込んでくるヴァルプス。
ヴァルプスがレオンに手を差し出し、ソファに促す。レオンは自分の指先に絡みついた「糸」を見られないよう、咄嗟に手を隠した。
レオンがソファに座ると、ヴァルプスは耳や頬を丁寧に温めはじめる。レオンはその献身を受けながらレオンは小さく礼を言う。
「なにか食べますか?簡単な野菜スープなら作ってあるんですけど」
「頂こうかな。……君は?」
「あ、じゃあボクももう一度食べちゃお」
ヴァルプスはいたずらっぽい笑みでキッチンに向かい、一分もたたずに戻ってきた。そのことから彼がレオンが帰宅するまで鍋を温めていたことが推測され、レオンはその気配りに感謝した。帰宅時間を正確に伝えれば良かったと少し後悔する。
レオンはヴァルプスが差し出した、野菜スープ入りのカップを手に取り、静かに味わった。
酸味の強いスープの味は、素朴だが暖かい。
レオンはしばしの逡巡のあと口を開いた。
「ありがとう、ヴァルプス。お前は本当に、私の『管理』によく応えてくれる」
「ふふ……どういたしまして?」
ヴァルプスは照れたように笑い、カップの中を木匙でかき混ぜた。
「ああ。何度でも食べたいくらいおいしいよ」
レオンは木匙を置き、そっとヴァルプスの手に触れた。
触れた温もりが、今この瞬間のリアルだと、自分に言い聞かせる。
(これを残す。これだけは、誰にも壊されない証と残す。
君の笑顔を、私のための貯金にする──これでいいんだ)
レオンの脳内では、「自分が消えた後の、ヴァルプスの幸せな生活」がシミュレートされている。
数時間前に、路地裏で占い師に突きつけられた「傲慢」という言葉が、頭の奥でリフレインしていた。
手の甲に触れられたヴァルプスが小さく笑う。
「あ、すみません。
いえ、レオンが、あんまり優しく笑うから。……ボク、十月が楽しみです」
「……ああ。そうだな。私もだよ。
……順調だよ、ヴァルプス。十月には、すべてが片付く。
……もしかしたら、私は今のような力を失っているかもしれない。
それでも、君は私の『所有者』でいてくれるかい?」
「もちろんです」
ヴァルプスの目は一点の曇りもなく、純粋な信頼に輝いている。
ヴァルプスに渡した『1魔貨』。それは彼にとって「自由への鍵」だが、レオンにとっては「遺品」の先払いに過ぎない。
情報の非対称性は、今や二人の間に埋めようのない溝を作っていた。
未来を確信して微笑むヴァルプスと、その未来に自分がいないことを知っているレオン。
「……この一魔貨が、君の鎖にならないことを願っているよ」
同じ「十月」を見据えながら、見えている景色は違っていた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。




