『感情の添付ファイル(アタッチメント・ログ)』⑧
第8部:定義の仕様変更
「……マルヴェイ。業務外の相談があるのだが」
呼び止められて振り返った時、すぐに嫌な予感がした。
温泉谷へと自ら飛び込んでいった男が、休暇とは思えない昏い瞳で自分を見つめている。
マルヴェイは小さく息をつき、周囲に展開していた仕事用のホログラムモニターを、手のひらで一払いにし、すべてを薙ぎ消した。
光の粒子が霧散したモニターの奥から、レオンのひどく真面目な顔つきがアップで浮かび上がる。
マルヴェイはワークチェアの背もたれに深く体重を預け、シートをわずかに傾けた。微かな油圧の音と、サーバーの奏でる断続的な電子音が、静かな部屋に響いた。
「なに」
応答がもらえたレオンは、少し安堵したように一度目を伏せ、それから意を決したように顔を上げた。
躊躇を帯びた青い目が、マルヴェイを射抜く。
「今日、レストランで聞いた」
「うん」
「土産とは魂の体温だ、と言っていた。理解できないが、構造は否定できない」
「何時間くらい考えてるの」
「……四時間くらい」
「レポートある?」
「ある」
数秒後、レオンから送られてきたホログラムレポートが眼前に展開された。マルヴェイはその概要だけを一瞥すると、胸元から薄紙に包んだ琥珀糖を取り出した。包みを開こうとした指先から、不意にひとつ、青い結晶が零れ落ちる。それは黒檀の机の上で硬く跳ね、埒のない時間つぶしのオブジェクトが転がることになる。それを拾い上げ、口のなかに差し込みながら、マルヴェイはレオンに視線を返した。
「翻訳しようか」
「……できるなら、頼む」
「君、今、お土産を評価してるでしょ」
「当然だ。最適解を探している」
「その声の主は、そこを否定しているんだよ」
「……否定」
「相手が喜ぶ物を選ぶのが目的じゃない。自分が相手を思い浮かべて、選んでいるその時間自体に価値があるんだ」
「……違いが分からない」
「だろうね」
マルヴェイは、口内の琥珀糖を荒く噛み砕いた。
「君は叔父上への土産も、顧問への土産も、常に『失敗しない物』という正解データだけを求めている。だが、彼はその計算式をはなから求めていない」
「……どういうことだ」
「相手が喜ぶ結果を渡すんじゃない。自分がその人を思い浮かべ、思考を割いた時間そのものを渡すんだよ。
土産は、君が何を見て、誰を思ったかというログの共有だ」
「……ログの共有」
レオンは静かにその言葉を反芻した。画面の向こうのマルヴェイを見つめたまま、長い沈黙が流れる。その青い瞳の奥で、無数の計算式を書き換えるかのように、わずかに焦点が揺れていた。
――君の認識した世界の一部を、私のログにも保存しておきたい。
三日前の、マルヴェイの声音が脳裏をよぎる。
「あ」
脳内で複雑に絡み合っていた数式が、ひとつのシンプルな線へと収束していく感覚があった。
「……そういう意味だったのか」
「どうしたの」
「……理解した」
そう告げた瞬間、レオンは迷いなく手元へ手帳を引き寄せた。ずっと止まっていた指先が、波を泳ぐように紙面を走り始める。万年筆が紙を引っ掻くカリカリという硬い音が、電子音に混ざりマルヴェイの耳朶を打つ。マルヴェイは、その様子を画面越しに興味深そうに見つめ、小さく尋ねた。
「何を書いてるの」
「仕様変更だ」
「早いね」
「……定義が、更新された」
「どんな」
「従来は、受領者の満足度を最大化する最適化問題だと認識していた。だが違う」
レオンは、紙面をなぞるペン先に力を入れた。
「土産とは、送り手側の思考ログを添付した固定媒体だ。
評価対象は、結果だけではない」
マルヴェイは、琥珀糖の欠片を指先で弄びながら小さく笑った。
「まだ仕様として理解してるところが君らしい。
だが、今の君らしいとも言える」
レオンが怪訝な顔をすると、マルヴェイは悪戯っぽく目を細めた。
「それは仕様書じゃ埋まらない。
――もっといろいろ見てきなよ。昼間に画像として送ってきた、白人参のように」
「……人参」
レオンは少し考え込む素振りをみせたあと、画面外に手を伸ばす。
緑の葉を揺らす、赤人参入りのパスタ瓶が画面いっぱいに近づけられ、その奥でレオンはにこりと笑った。
小難しい話が終わるだけで、レオンはあっけなく無防備でくつろいだ表情になる。
ひょっとするとこれが彼なりの開示なのかもしれない。それが、野菜だとしても。
「……この赤人参の話、聞く?」
マルヴェイは鼻で笑ったあと、降参するように両手を上げた。
手のひらから、青い琥珀糖が零れ落ちる。それは鈍い光を宿しながら机の上で跳ねた。
「いいだろう。君のログを、共有させてもらう」
緑地のタイ、色褪せた絵本、蜂蜜の瓶の輝き。そして手渡された人参の香りの鮮烈さを。
レオンの静かな一人語りを、マルヴェイはにやにやとした笑みを浮かべて聞いてやった。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。




