表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『1魔貨の聖騎士 ― 自分を1魔貨と定めたCEOを、悪魔は契約で管理する』  作者: 暮夜すと
【シーズン3:Q1バカンス編】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

307/315

『感情の添付ファイル(アタッチメント・ログ)』⑥

第6部:知的好奇の過熱オーバーヒート



 注文から数分後、大皿を持った店員が歩いてくる。

 ヴァルプスの追加注文だったはずだが、店員の勘違いか、あるいは単なる偶然か。それはアンドレへと配送された。


(私の、トゥルトなのでは?)


 ヴァルプスは表情ひとつ変えず、店員の後ろ姿を見つめた。しばらくすると、店員に扮したままのマリーがヴァルプスの横に近づき、愛想笑いを貼り付けたままトゥルトを切り分け、クリームを塔のように盛ってみせた。ヴァルプスは短い礼を言って、フォークを握る。

 

 背中合わせの席から、石皿に金属が触れる乾いた音が再び響いた。

 アンドレが、吐息を漏らす。


「……素晴らしいね、ユベール。このトゥルトには、去年の八月第三週、金曜日の朝の空気がそのまま凍りついている」


 低い地響きのような声が、背後からレオンの鼓膜を叩いた。

 ピク、とレオンの右手の指先が微かに跳ねる。


「ふうん。一昨年のものは糖度が高すぎて少し下品だったけれど、これは実に制御された甘味だね。熟れすぎる直前の、最も美しい瞬間が完全に固定セーブされている。

 ――おや、この蜂蜜は三年前のものだね。ただし、途中で一度、白樺の樽から菩提樹の樽へと樽を替えている。時間をただ閉じ込めるだけでなく、環境を最適に再構築することで、不確定な未来(熟成)のログを完全に自分の管理下に置いているわけだ。実に見事な仕事だよ」


(……なに。なにを、言ってるんだこのひとは)


 レオンの長耳が、角度を変えようと揺らめいた。


 曜日や時間帯までをログとして正確に読み取る観測眼。

 過剰さを許さない、熟れすぎる直前の完全な固定。そして、閉じ込めた時間のログを己のロジックで再構築し、飼い慣らすという業務フローの最適化のごとき発言。

 背後から流れてくるのは、レオンにとって最も好物であり最も渇望する概念の暴力だった。 

 

「物質の奥底に眠るこの緻密なログを紐解けば、資産価値にして九千魔貨――それをこの店は、たった千魔貨という記号で手放してしまうのだから。

 ふふ……だから私は、人間社会の気まぐれな風情おままごとを見るのがやめられないのだよ」 


 レオンの凍りついた青い瞳に、光が走る。


「私はね、ユベール。ただ美味しいものを食べているわけではないんだよ。

 物質の奥底に閉じ込められた完璧な時間とログを、こうして五感のすべてで味わっている。――これこそが、私たち竜人が受けるべき勝利の配当金というものさ」


「はあ。そうですか。さすが竜人様ですね」


「そうだろう、そうだろう」


 レオンの背中が、限界まで強張る。

 フリーズしていた彼の脳細胞が、静かに再起動オーバークロックを始める。

 褐色の肌に浮かんだその赤みは、まるで暗がりに灯った小さな篝火のように、彼の動揺を物語っていた。


(……その保存概念の数式を、今すぐ私に開示しろ)


 振り返りたい。今すぐ問い詰めたい。レオンの長耳が震え、端末を握る両手に力が籠もる。側頭部の黒角の先端から小さな青い火花が散り、それを見たヴァルプスは食事をいったん止め、皿の上にフォークを置いた。傍らのハーブティーに口をつけた後、優しい声音を意識して口を開く。


「レオン」


「……」


「レオン」


「……ん」


「あちらも、きっとお忍びですよ」


「ん」


 ヴァルプスの言葉に、レオンは唇を噛み締めた。

 だが、爆発寸前の知的好奇心は、すでに『お忍び』という常識で押さえ込めるレベルを超えている。過回転を起こした脳が、彼の青い瞳を異様な熱で染め上げていた。

 レオンは耐えられない、とでもいうように身を乗り出した。

 たん、と音を立ててテーブルの上へ右手を置く。


 今にも立ち上がりそうなその挙動を視認した瞬間、ヴァルプスは、迷うより早く彼の手の上へと自身の右手を重ねていた。


(……だめか?)


 レオンは黒い爪を木目へ押し付けながら、下から睨みあげるようにヴァルプスへ視線を投げた。


(だめです。そのまま、動かないでください)


(でも、今聞かないと)


(我慢してください)


 目線だけで会話をする。

 見上げられるたび、ヴァルプスはレオンの手を包み込むようにして、ときおり神経質に指で弾いた。

 ほんの数分前まで頭を悩ませていた官能という爆弾のことなど、もう考えている余裕はなかった。


 晴れることのない憂いの表情を見下ろすうちに、いつのまにか背後の男たちは席を立ち、姿を消していた。


『――こちらシカ2、対象はレストランを出ました』


『本部へ、ウサギ2。対象の足取りが途絶しました。視界からロスト』


『こちらクマ3。感応波かんのうは、完全消失。ロストしました』


『……ほん、ぶ……、オオカミ2です。さっきの熱源が、一瞬で消え……ひ、吹雪いてきました……。帰投指示を下さい』


 通信機経由で状況を知ったヴァルプスは、小さく息を吐く。


 レオンはまだ、熱視線をヴァルプスにぶつけ、許可を待っている。

 先ほどまで自分を悩ませていたあの言葉のことなど、いまの彼の頭からは完全に消え去っていた。


ほどまで自分を悩ませていたあの言葉のことなど、いまの彼の頭からは完全に消え去っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ