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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:本決算発表会編】Q1

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『氷結の黒字決算(ファイナル・クローズ)』③

第3部:絶対零度の宣戦布告マニフェスト


 二月十二日 十七時五十九分


 数千の血走った眼球が、瞬きすら忘れて一点を凝視していた。


 十八時の鐘が鳴る直前。アナウンスも一礼もなく、演台の後方から二つの影が静かに入場した。その瞬間、投資家たちのギラついた視線が一斉に突き刺さる。


 役員席の左側に座ったのは、ヴァルプスだ。

 鉄灰色アイアン・グレーのスーツに包まれた、圧倒的な体躯。

 壇上に座っているだけのはずなのに、まるで巨大な壁に見下ろされているかのような錯覚を覚える。

 頭部から伸びた大きな黒角にライトが降り注ぐ。眼鏡の奥にある冷徹な美貌が網膜に映った瞬間、 圧倒的な威圧感に気圧され、喉の奥がヒリついた。


 俺たちの金をドブに捨てておいて、よくもそんな涼しい顔をしていられる。ひとりの投資家が怒りに任せて睨みつけると、ヴァルプスの視線が真っ直ぐこちらを射抜いた。事務所を潰させはしないという鋭い刃のような意志。その眼光に耐えかね、投資家は逃げるように右隣の男へと視線を移した。


 オスカル・ド・ラ・ノワール。

 ダークネイビーのスーツをまとい、背筋を正して座る様子は一編の傷もない彫刻のようだ。彼がそこにいるというだけで、公会堂の酸素が薄くなったかのように胸が苦しくなる。その切れ長の双眸は、投資家たちを一瞥することすらなく、無人の演台だけを極上の硝子細工を眺めるような冷徹さで見つめていた。


 ヴァルプスの放つ凶暴なまでの闘気と、オスカルが漂わせる冷徹な規律。

 今すぐステージへ飛び降りて胸ぐらを掴みたいのに、投資家たちはただ歯噛みして身を縮めることしかできない。

 会場が不気味なほどの静寂に支配されかけた、その時だった。


 ステージ横の重厚な両扉が、厳かに左右へと開かれた。そこから颯爽と歩み出た、ただ一影。

 大惨劇を引き起こした元凶であり、投資家たちが骨髄まで憎悪する男――レオン・ド・ラ・ノワールその人だ。彼が身にまとう漆黒のスーツは、構造色を有する蝶のはねを思わせた。悠然と歩を進めるたび、妖しい青や紫の光彩がその表面を滑るように滲む。 

 流麗な黒髪と褐色の肌。その隙間から覗く長い耳の直上には、黒曜石のごとき硬質な二対の角がそびえていた。男は冷徹な宝石を思わせる青い瞳を細め、静謐せいひつさを纏って、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「――おい、何とか言えよ!謝れ!」 


 客席の前列から、悲鳴にも似た怒号が上がった。それを引き金に、堰を切ったような罵声の嵐がレオンへと一斉に浴びせかけられる。だが、彼は眉ひとつ動かさない。

 レオンは演台の縁に、ゆっくりと手を添えた。足元をはしる青白い回路の脈動を感じ取りながら、前方に視線を投げ――その先にいる「零番」を、じっと凝視した。しかし、黒服の護衛たちが囲むその席は、空席であった。


 ――ゴーン、と。運命の十八時の鐘の音が、公会堂の重厚なドーム天井に鳴り響く。 


 レオンは一度、静かに目を伏せた。手首の白銀の腕輪が、持ち主の覚悟に呼応するかのように、袖の奥で冷たい駆動音を立てる。

 ゆっくりと顔を上げたレオンは、客席をまっすぐに見据えた。その瞳には恐怖も、言い訳も、一切の揺らぎすら存在しない。その圧倒的な眼光に圧され、今度は投資家たちの方が、言葉の続きを奪われる番だった。


 レオンは小さく息を吸い、マイクへと唇を近づけた。

 

「……栄光ある、アルジャン・ブルーの市民よ。

 規律は銀、愛は檻。

 私はあの日、叔父上に役割を与えられ、『無価値な情動』というバグを、完全に捨て去りました」


 レオンは背筋を伸ばし、演台の縁を強く握りしめた。衣服の奥から、白銀の腕輪の微弱な駆動音が再び小さく漏れる。


「……今、私の胸にあるのは凍てつく冬の温室のような、凪いだ静寂のみ。

 この静かな忠誠こそが、皆様の利益を約束する、唯一の担保すべてです」


 ――静寂が、会場の隅々にまで冷たく染み渡っていく。 

 

 ふざけるな、と叫び出す者は誰もいなかった。全財産を失いかけている彼らが求めていたのは、世間に流れるフェイクニュースへの怒りや、株価暴落への見え透いた謝罪の言葉だったはずだ。しかし、目の前のCEOが提示したのは、血の通った人間の言葉ではない。


 「情動を捨てた」と言い放つ、あまりにも完璧で、あまりにも異質な『冷徹な装置』としての自己証明。


 この男には、自分たちの悲鳴など本当に届いていないのではないか。前列の投資家は、乾いた喉を鳴らしながら小さく身を引いた。


 最高値一万から、わずか数日で四千二百への転落。資産を半分以下に削り取られた群衆の感情は、レオンの絶対零度の眼光に触れた瞬間、パチパチと音を立てて凍りついていく。人間らしい交渉が通じる相手ではないという絶望。だが同時に、その不気味なほどの凪が、彼らの泥沼の胸中に歪んだ光を灯した。


 ――この男は、すでに『嵐の後の真実』をその掌に握っている。そうでなければ、目の前の殺意を前に、これほど傲慢に立てるはずがない。レオンを疑いながらも、彼らは破滅から救われたい一心だった。その冷酷な支配者の唇が次に紡ぐ『数字』の行方を、縋るような恐怖と共に見つめることしか、もう群衆には許されていなかった。


 レオンが右手を軽く上げると同時に、演台の中央から眩い青白の魔導光が放たれた。

 無数の幾何学模様を描いて宙に広がった光は、大鏡の間の巨大な天頂を埋め尽くすほどのホログラムディスプレイへと変貌していく。そこに映し出されたのは、『オルカ・ショート・パートナーズ』のフェイクニュースをあざ笑うかのような、圧倒的な『数字』の羅列であった。


「第一四半期、アメリア・スタンダード事業における【売上高】。および、魔力抽出効率の向上に伴う【純利益】の確定値です。

 ……そして、こちらがアメリア姫のリアルタイムの出力データ及び、魔力炉の稼働状況です」


 レオンはそれ以上、何も語らない。ただ、端正な指先をスライドさせ、淡々とグラフを展開していく。

 その洗練された指先の動きに合わせ、手首の二色の光が微細に明滅する。裏方で防壁を死守するマルヴェイたちの凄絶な死闘など微塵も感じさせないほど、レオンはそれを完璧なデータへと変換していった。


 言い訳も、感情を煽るようなパフォーマンスもない。ただ機械のように冷酷に、確定した『事実』だけが投資家たちの網膜へ突きつけられていった。


「……なんだ、この数字は……」


 前列のアナリストが、狂ったように端末を叩いた。

 ホログラムが示すグラフの放物線は、垂直に近い角度で右肩上がりに跳ね上がっている。

 基幹システム(コア・レジャー)は、オルカのハッキングなどでは指一本触れられない堅牢さで維持されていた。


 「続きまして、【来期の業績予想】です。

 今回の『一時的な市場の歪み』を吸収した我が社は、明日の市場再開以降、予定通り連邦全体のエネルギー供給の四割を単独で占有、事実上の市場支配力を掌握します」


 切り替わっていく無機質なグラフの光。

 手元の端末で「4,200」という底を這う数字を見つめていた投資家たちは、目の前のステージで踊る天文学的な黒字グラフという現実を前に、思考を奪われていた。この連邦で、単一の企業が四割のインフラを牛耳るということが何を意味するか。彼らは痛いほどに理解していた。


 この男は本気だ。感情論ではなく、数字という絶対的な事実が、自分たちの絶望を合理的に塗り替えていく。

 会場全体の息が止まる。


 それは会場だけの話ではない。演台中継のカメラを通して、このホログラフィック・ウェブキャストを見守っていた世界中の視聴者もまた、画面の前で完全に凍りついていた。ルテティアの街頭ビジョンを見上げる群衆も、固唾をのんで端末を凝視していた大富豪たちも、ただ言葉を失って光る数字を見つめている。

 

 ルテティアの街頭から世界の果てまで、ただ冷徹な黒字のグラフだけが、数十億の網膜を青白く照らし続けている。静寂が極限まで張り詰めたその瞬間、壇上のレオンがゆっくりと視線を動かした。



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