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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:本決算発表会編】Q1

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『氷結の黒字決算(ファイナル・クローズ)』①

第1部:孤独の二重同期システム・ミラー

 二月十二日 十四時


 鉛色の雲の裂け目から、二月特有の鋭く低い光が差し込み、濡れたルテティアの街並みを黄金色に縁取っていく。

 通りに面したカフェの店員が、昨夜の嵐に倒されたテラス席の椅子を忌々しげに直す――そんな日常のひとコマを、怒涛の喧騒が押し流していく。


 運転を再開した地下鉄の出口から吐き出された彼らは、手元の端末に目を落とした瞬間、一様に息を呑み、顔を強張らせた。

 液晶が放つ『4,500』という血のような赤い数字が、網膜に焼き付いて離れない。わずか数日前まで一万魔貨を誇った超優良株は、『オルカ・ショート・パートナーズ』が放ったフェイクニュースの一撃によって、文字通り半値以下までへし折られていた。


 資産が、未来が、一瞬で溶けていく。その底なしの恐怖が、次の瞬間には、煮えくり返るような怒りへと変わる。

「魔力炉のヒビは事実なのか」

「ド・ラ・ノワールは終わりだ」

 飛び交う怒号と風説に背中を押され、彼らは氷のような泥水を容赦なく跳ね上げ、互いの肩をぶつけ合いながら走る。完全オンラインでの決算報告会という逃げ道すら提示せず、三千人の飢えた狼のような群衆を生身で呼びつけた会社側の意図は不明のままだ。


 『真実は常に、嵐の後に明かされる』などという、あの傲慢なまでのSNS告知。 

 予告通り、昨夜の嵐は幻のように去った。ならば今ここで、地獄の底のような数字をひっくり返す「真実」を見せてもらわねば気が済まない。そうでなければ、この手で会社を叩き潰してやる――。

 

 引き結んだ唇から白い息を激しく吐き出しながら、彼らはただ、事実としての『詔令』を分捕るかのような勢いで、グラン・ミロワール公会堂の重い鉄扉へと押し寄せていた。


 ――それから一時間後、市場閉鎖まであと二時間となった十五時。


 グラン・ミロワール公会堂の白扉が、ついに開かれた。


 熱気に満ちた群衆を、バティスト率いるエトワール・ガードが冷徹な手際で捌き始める。魔導回路による隠し武器のチェック、手荷物検査。一人につき数十秒の厳格な検問は、ただでさえ凍える寒さの中で待たされていた投資家たちの神経を逆撫でした。

「おい、まだ中に入れないのか!」「株価が今も下がり続けてるんだぞ!」悲鳴に似た怒号が、硝子のドーム天井に反響する。

 受付を突破し、会場へ滑り込んだ投資家たちは、息を呑む暇もなく端末に齧り付いた。


 演出か配慮不足か、ステージ上のホログラムモニターには激しく明滅する赤色の下落チャートが映し出されている。

 磨き上げられた硝子の床に反射したその映像は、まるで血の海のように足元を飲み込んでいく。

 一人の投資家の苦悶の声が連鎖し、まるで即興の歌のように会場に広がっていった。


 ――そのうごめくような熱気が、防音扉を抜けてかすかに廊下まで伝わっていた。

 客席が怒号と悲鳴で埋まっていく最中、彼らは申し訳程度の静寂が残る廊下を歩いていた。


「……悲鳴のフーガ、といったところでしょうか。実に重厚グラヴェな響きだ」 


 ヴァルプスが銀の懐中時計に目を落としながら、一切の感情を交えずに呟く。

 普段は高い位置で揺れている彼の白銀の髪は、今日、うなじの低い位置できっちりとタイトに結い上げられていた。その毛先を縛る細い黒シルクのリボンは、レオンの纏う漆黒アンティーク・オブシディアンと同じ色だ。

 いつもより大人びて、冷徹な最高執行責任者としての相貌を完成させた半身を、レオンは横目で静かに見据えた。視線に気づいたヴァルプスは、白い指先で眼鏡の黒銀のブリッジを軽く押し上げる。レンズの奥の切れ長な赤い瞳が、鉄灰色アイアン・グレーの三つ揃え(スリーピース)を冷たく引き締める。


「市場閉鎖まであと百二十分。彼らにとっては秒刻みの処刑台となっているのでしょう」


「……仕方のないことだ。我々はただ、事実を提示するに過ぎない」


 レオンはスーツの袖口を整えながら、答えた。

 この日のためにと特別に誂えられたその正装は、硬質な輪郭を描いていた。いつもは優しく額を覆っている黒髪も、今日は片側を大胆にかき上げたタイトなサイドパートに整えられている。髪から垣間見える黒曜石を思わせる黒角も、塵一つなく綺麗に磨き上げられている。

 半分だけ剥き出しになった額と、その奥で光る青い瞳が、CEOという『配役』にふさわしい、凍るような冷徹さを際立たせていた。

 薄く開いた唇の端から、常人より鋭さを増した犬歯の先が見える。つい最近増えたその個性は、レオンにわずかな野性味を与えていた。


「……少し、前髪が落ち着かないな。固め過ぎではないか」


 レオンは、かっちりと固められたその前髪に細い指先をそっと触れ、神経質そうに目を上向ける。


「今日のあなたには、一筋の乱れも許されません。……ですが、少し、調整しましょうか?」


「……頼む」


 ヴァルプスは至近距離に踏み込むと、主の長耳に触れぬよう細心の注意を払いながら、微かに浮いた髪を白い指先で完璧に均した。


 その時、廊下の対面から、複数の足音が響く。

 レオンの長耳は、そこに聞き慣れた歩調を敏感に受け取り、そっと目を伏せた。

 防音壁の冷たい照明を浴びて、長い影が廊下の床に伸びる。その影を切り裂くようにして悠然と姿を現したのは、いくつかの取り巻きの足音を従えた、レオンの会社の戦略顧問であり、世界の概念を規定する超法規的機関『オプス・ニグレド』を率いる叔父――オスカルだった。


「……レオン」


 やがて柔らかな、しかしどこか冷ややかな男の声が響いた。

 レオンと同じ黒髪、青い瞳、そして褐色の肌。彼が纏うのは、ダークネイビーのスーツ。胸元のプラチナで創られた茨のタイピンが、彼の理知的で隙のない佇まいを際立たせていた。

 オスカルは歩きながら、白い手袋をつけた手を軽く上げてみせる。


「……叔父上」


 レオンは眼の前に立ち止まったオスカルに一礼する。その影に重なるように、ヴァルプスもまた、寸分の狂いもない角度で無音の最敬礼を捧げた。

 深く頭を下げたレオンの視界に、滑るように進む足元が映る。磨き上げられた黒い石床の上で、一点の曇りもなく光を跳ね返しているのは、鏡面磨き(ハイシャイン)の施された漆黒の革靴だ。彼の一歩一歩が、その場の空気を統制していくかのような錯覚すら覚えさせる。

 オスカルの革靴の滑らかさと、自分の革靴の光具合を見比べることで、レオンは胸の動揺を静めようとしていた。


「本日はご臨席ありがとうございます。開始時刻は予定通り十八時です。

 叔父上のシートは私の直背、プレゼンテーションの全工程を俯瞰できる位置に配置しております」


「……それだけかい?」


 オスカルの声音がレオンの耳朶に降りかかる。

 

「……それは、叔父への挨拶かな。それとも、顧問への言葉かな?」


 レオンの言葉を受け、オスカルはゆっくりと姿勢を正す。少しだけ小首をかしげると、項でまとめられていた黒髪がさらりと流れた。

 いたずらっぽく、しかし底冷えするような柔らかい声で問いかけた。


「……戦略顧問としてです」


「そうか。私の役割は、君の背中をそこから『眺めるだけ』でいいというわけだ。……ずいぶんと頼もしいね、レオン」


「……ご不便があれば、運営へお申し付けください。

 ……失礼します」


 レオンは表情一つ変えず、平坦な声を返した。

 オスカルは、レオンの顔を見つめた。室内を照らす柔らかなスポットライトが、レオンの口もとの刃物のような白い歯を見咎める。

 わずかに開いた唇を、レオンは慌てることなく、しかしこれ以上は晒せないとばかりに、静かに、かつ硬く結んだ。


「……ああ。では、また後ほど」


 オスカルは、そのまますれ違っていった。オスカルの残していった香水の苦い香りが、廊下の冷気に混ざって消えていく。その香りに過剰に反応しないよう目を伏せるレオンを、取り巻きの中に混じっていたヴァレリアンとカイウスの視線が静かに観察していた。


 ヴァルプスは一歩下がって静かに頭を下げながら、眼鏡のブリッジにそっと指を添える。レンズの奥の視線追跡アイトラッキングは、今の一瞬のオスカルの視線の角度、わずかな口角の上がり、そして声のトーンを余さず分析・記録プロファイリングしていく。


 視線を流し、ヴァレリアンとカイウスを見る。

 ヴァレリアンはヴァルプスと視線があうと僅かに目を細め、カイウスは自身のネオンエメラルドの眼帯に指をあててみせた。


 遠ざかっていく足音が完全に途絶えた瞬間、レオンは少しだけ顔を歪めた。

 額を軽く押さえようとして、やめる。崩れていい場面ではないと、分かっているから。


 レオンは背後で静かに控えるヴァルプスへと、冷徹な青い双眸を向けた。


「行為の結果を動機とせず、結果に執着するな。

 ……株価がいくらになろうが、他人がどう評価しようが関係ない。今の私たちがすべきことは、怯えることではない」


 ゆっくりとヴァルプスを見上げる。そのレオンの青い瞳には、1ミリのブレもなかった。


「アメリアを守り、会社を守る。……責務に向かって突き進むのみ」


「はい」


 少し息苦しそうに深い黒のシルクのタイに指をかけるレオンに、ヴァルプスはいちど視線で了承を願う。レオンがヴァルプスを見つめたまま、喉元を譲るように小さく首を傾けると、ヴァルプスはその白い指先でレオンのタイの位置を滑らかに微調整した。


 レオンは、ためらいがちに口を開く。


「……やはり、喋りづらい。言葉の端が、どうにも尖ってしまう」


「プロファイリング上は、普段の発声と0.3パーセントの誤差もございませんよ。

 ……ただ、少しだけ、聴衆の心拍数を狂わせる『ノイズ』が混ざるようです。……ちょうどいいのでは?」


「……からかうな」


 レオンは小さく不満げに眉をひそめたが、その僅かな感情の表出が、彼の強張っていた肩の力を抜かせた。


「ヴァルプス」


「はい」


「……閉幕した後、叔父上と業務上の確認があるんだが」


「はい。存じております」


「……会った後、少し不安定になるかもしれない」


 そこまで言って、レオンは目を伏せる。


「……できれば、一人にしないで、ほしい」


 聞き間違いかと、ヴァルプスはレオンの襟元を整えていた指を止めた。そのまま、ゆっくりと視線を主の顔へと上げた。

 レオンはわずかに唇を噛み締め、床を見つめ続けていた。

 眼鏡の奥の瞳が、主の脆さの開示に揺らぎ、やがてゆっくりと細められた。


「……わかりました」


 その約束を最後に、二人のプライベートは終わる。


 レオンは歩き出した。ヴァルプスは音もなく続く。

 地獄の数字をひっくり返す、戦場ステージへのカウントダウンが始まっていた。

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