『夜業の投資対効果(ディナー・リターン)』④
第4部:緩衝地帯の現物支給
――作戦開始から、ちょうど三分後。
大型サルーンの後部座席に据え付けられた「防魔・気密気流システム」が、低い電子音を立てて作動した。外の雨水を車内に一滴も入れないための、気圧調整である。
ガンマチームの電磁ジャミングによって、周囲の魔導ドローンのカメラが真っ白にノイズを走らせる一瞬の隙を突き、後部ドアが僅かに開閉した。
外の激しい嵐のなかにいたとは思えないほど、一滴の雨も浴びずに密閉されたその軍用タクティカルケース。
カイが手慣れた動作で受け取り、ロックを解除する。すると小気味よい減圧の音とともに、ケースの蓋が開いた。
次の瞬間、防弾仕様の無機質な車内に、ふわりと極上の醤油の香りと、燻製された炭火の香ばしい匂いが立ち込める。ケースの中に並んでいたのは、外の極彩色なネオンをそのまま閉じ込めたような、透明な球体の防護カプセルに守られた皿たち。
ベータチームが簡易毒性検査と魔導汚染スキャンを終えた『極氷温熟成・本マグロ中脂厚切り』、『サーモン・オ・フロマージュ』、そして『極魔焔焼き・燻り紅鰹』。そしてハヤテの機転による、ほかほかの湯気を立てる『甘ダレ炭火焼き鳥セット』――それらが完璧な兵糧として鎮座していた。
「ん……」
匂いに反応して、シートの隅で眠りかけていたレオンの長い睫毛が跳ねるように上がった。
座席の間の床から、木目の机が起動音とともにせり上がる。
レオンが瞬きをした間に、すでにカイの手によって、透明な球体の魔導保冷カプセルたちが並べられていた。
パカッ、と音をたててカプセルが開く。中からルテティアの霧すら吹き飛ばすほどの、強烈な酢飯と海の香り、そして甘いタレの香りが車内に満ちた。
静かに、運転手が車内の消臭ボタンを押す。
レオンの青い瞳が、寿司の姿を捉えて爛々と輝きだす。
「たくさん、買ってきてくれたんだね」
いそいそとジャケットを脱いだレオンは、流れるような手つきでタイを引き抜いた。それを二つ折りにし、シートの背もたれに掛けたジャケットの内ポケットへ滑り込ませる。カイは、その迷いのない一連の動作に感心しながら、温かい濡れタオルと木のフォークを差し出した。
「レオン様、こちらを」
「ありがとう」
レオンは皿に添えられていた生姜の薄切りをフォークでめくった。何枚か食べたあと、「極氷温熟成・本マグロ中脂厚切り」に視線を投げた。
口を精一杯に開けて、パクリと一口で頬張る。
やがて、その頬がゆるむ。
続いてレオンは、間髪入れずに「サーモン・オ・フロマージュ」を口へ放り込み、濃厚なチーズと脂のハーモニーにうっとりと目を細める。
「おいしい……おいしいよ、カイ。
……すごく合理的な味がする」
「それは良かったです。
あ、レオン様、お醤油をシャツに溢さないでくださいね。ほら、焼き鳥もありますから」
「うん」
カイは、ハヤテの指示で追加で届けられた緑茶の缶を手に取った。
硝子のグラスに中身を注いでやると、レオンははにかむ。
誰かの食事を見守る、というのは初めての経験で、カイはなんとも奇妙な胸元の温さを感じる。それでもレオンがおいしいと言いながら自分を見つめるたび、いいようのない曖昧な笑みをフルフェイスバイザーの中で浮かべるしかなかった。
外の世界が明日、どれほどの大混乱に見舞われようと。
今、この黒い要塞の温かな車内だけは、寿司の幸福な匂いと、一人のCEOの穏やかな満腹感で満たされていた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。




