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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:本決算発表会編】Q1

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『夜業の投資対効果(ディナー・リターン)』②

第2部:市場停止の不条理ブラック・アウト


 二十一時三十分。


 指定されたルテティア銀本位取引所ルーセント・ボードの裏口は、静寂に包まれていた。

 外郭の無数のセキュリティ・ガーゴイルがレオンたちを見下ろす。

 出迎えた職員たちに誘導され、レオンと護衛たちは入場する。


 重厚な防音扉の向こう、最高評議会総裁室で待っていたのは、綺麗に整えられた白銀のカイゼル髭を震わせる老人――オーギュスタン・ボナールだった。

 黒壇の机上には、目減りした胃薬の瓶と水差しが几帳面に並べられている。

 老鳥のような眼光が、入室してきたレオンを射抜く。


「……時間通りだな、レオン。

 二十日前のSNS事件の次は、この大暴落か。

 明日の朝九時、市場の幕が上がれば連邦の経済は破滅だ!

 なぜ即座に記者会見を開いてデマを否定しない!

 プレスリリースたったの1行で『静観する』とは、市場を、我が国を愚弄するのも大概にしたまえ!」


 ボナールは執務机の上で拳を握りながら叫んだ。

 激昂を含んだ声音を最後まで聞いてから、レオンは優雅に一礼をした。


「やあ総裁。私も、まさかこんなに早く再会できるとは思っていませんでした。

 ……そんなに怒ると、血管に魔導銀が詰まりますよ?」


 レオンは、場に似合わないふわふわとした笑みを浮かべ、歩みを進めながら応じた。

 ボナールの顔を見下ろして、小さく首を傾げてみせる。


「……なぜ怒るのですか。

 デマを流したのはオルカだ。私は被害者です。それに、すでに法的に最も正しい『公式のプレスリリース』を打たせました」


「被害者だろうが何だろうが、関係ない!」

 

 ボナールは板上を叩く。


「オルカから『和解金グリーンメール』の要求が来ているのは掴んでいる。

 今夜中にサインして金を払い、明日の朝までにデマ記事を取り下げさせろ!

 それが市場の混乱を防ぐトップの責任だ!」


「ああ、その件ですか。私のところにちゃんと届いていますよ。

 ついでに、うちの部下をディナーに誘うような、下品な追記つきでね」


 レオンはそっと口元を隠すように手を当てた。唇の隙間から、エルフのそれではない、鋭い牙が白く覗いた。

 小さく、目を細める。


「……ですから、こう言っておきました。『相手にするな。放っておけ』と」


「放っておけだと!? 狂ったか。

  和解が嫌なら、三日後の二月一二日まで待たずに、今この場で『ロックしている本物の大黒字決算』を前倒しで開示しろ!

 ……それで明日の暴落は防げる!」


「お断りします。Q1決算書はすでにシステムに暗号化ロックされています。

 ――総裁。あなたは私に、オルカという『泥棒』の脅しに屈して、国家の最高規律である開示スケジュールを捻じ曲げろと言うのですか?

 それこそ市場がテロに屈した敗北の証明ですよ。私たちの数字は、一ミリも揺るぎません」


「レオン、君の言う『三日後の大逆転』は、君の会社が三日間生き残っていればの話だ!」


 ボナールは身を乗り出し、鋭い眼光でレオンを睨みつける。


「明日からの大暴落で格下げされ、銀行に貸し剥がしをされれば、三日後の朝を迎える前に君の会社は完全に首が回らなくなって――黒字倒産する!

取引されている数千の中小企業も連鎖倒産だ!」


「倒産?」


 レオンはさらに愛想良く微笑んだ。その瞳の奥にある冷徹な計算高さに、ボナールは背筋が凍るような錯覚を覚える。


「しませんよ。手元流動性キャッシュなら、口座を完全ロックさせました。

 明日からどれほど売り浴びせられようが、我が社の自己資本比率と資金繰りなら、三ヶ月はノーダメージで耐えられます」


 レオンは小さく首を傾げる。


「主要銀行との当座契約も、昨年の時点で再構築済みです。

 短期流動性も複数国家へ分散退避している。

 オルカ程度の虚報では、我が社の生命線には届きませんよ」


「な……」


「それに連鎖倒産ですか?

 素晴らしい。恐怖に駆られた愚かな投資家たちが手放した他社の超優良株を、私は明日の朝から底値で買い漁ります。

 オルカが市場に供給してくれた『歪み(ディスカウント)』は、すべて我が社の血肉だ。

 三日後、市場が回復したとき、連邦の経済は以前より強固になって私の支配下に入ります」


 ボナールは絶句した。

 目の前の男は、破滅の危機すらも、敵をハメ殺すための「買い場」として冷酷に組み込んでいる。


「市場停止は最悪です。

 総裁、あなた自身が『連邦経済は壊れた』と宣言することになる。

 暴落は三日で終わりますが、市場への信用崩壊は十年残る」


 レオンはそっと胸元から汎用接続媒体を取り出すと、机の上に置く。

 ボナールは渋い顔をしながら媒体を弄り、空中にホログラムモニターを展開させた。

 資料を読み解きはじめたボナールを見守りながら、レオンは机の縁に両手を置いて身を乗り出す。


「明日の朝九時、予定通り市場の幕を開けてください。

 オルカは勝ったと確信し、全力で『空売り(ショート)』を仕掛けてさらに資金を注ぎ込んできます。

 彼らは挑戦しているつもりなのでしょうが……ビジネスの規律(数字)を舐めすぎです。

 三日後、このロックされた大黒字決算が突きつけられた瞬間、株価は垂直に跳ね上がる。彼らがデマのために費やした巨額の資金は、強制買い戻しの波に一瞬で焼き尽くされ、国家予算規模の負債を抱えて爆死します」


 レオンは柔らかい声音を喉元から押し出した。


「……ね? 面白いじゃないですか、総裁。

 この大逆転劇に、ルテティア銀本位あなたも賭けませんか?」


「……」


 長い沈黙。


 やがて、ボナールは深くため息をついた。


「狂っているな、君は。

 ……だが、君の数字の防壁が破れれば我が国は終わりだ」


 ボナールは胃のあたりを片手で押さえた。


「……分かった。明日の朝九時、予定通り市場の幕は開ける。

 三日間だけ、地獄の付き合いをしてやろう。

 その代わり、二月一二日にはオルカを仕留めろ」


「ふふ、交渉成立ですね。

 今夜中に、あなたの首を縦に振らせられてよかった」


 レオンはボナールに笑顔を浮かべた。

 一瞬、確かめるようにボナールの前に身を乗り出した。そして、彼の赤い瞳を覗き込む。

 それは交渉成立の念押しではなく、別のなにかを探す熱を含んでいた。


 レオンの端正な顔立ちにボナールの意識がビジネスから逸れかけそうになる間際で、レオンは視線をそらす。


「……では帰ります。なにかあれば、またご連絡ください」


「……ああ」


 レオンはゆっくりと背を伸ばす。

 ボナールがグラスに水を満たして煽る喉を見届けると、レオンはふと、己の胃の腑が奇妙に空っぽであることに気づいた。 完璧なCEOの仮面が、交渉の終了とともに、音を立てて融解し始めていた――。



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