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『1魔貨の聖騎士 ― 自分を1魔貨と定めたCEOを、悪魔は契約で管理する』  作者: 暮夜すと
【シーズン1:バルナザール決算編】Q1

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『剝がれ落ちる仮面、あるいは共犯者の夜』②

第2部:薄荷の残香、残酷な助言


 監査室の重苦しい空気とは対照的に、ラウンジは静謐な優雅さに満ちていた。高い天井は、夜空をそのまま切り取ったような黒真珠のドーム。そこには星の代わりに、本物の魂の破片が鈍い光を放ちながら明滅している。 ヴァルプスが座るソファは、絶滅した魔獣の産毛で織られた最高級品だった。 身体が沈み込むたびに微かな魔力が神経を癒やす。だが今のヴァルプスには、その心地よさがかえって息苦しい。先ほどまでいた監査室の、あの重苦しい空気がまだ肌に張り付いているようだった。


 アリストフェルは、水晶のテーブルに置かれた磁器のカップを指先で遊ばせている。窓の外には地獄の赤茶けた大地ではなく、次元の狭間を流れる青い燐光の河が見えた。


「……アリストフェルさん」


 ヴァルプスが、魔力ソーダに浮かんだ薄荷の葉をストローで突きながら、消え入るような声で口を開いた。


「契約者を守りたいって思うのは、悪魔として間違っていますか?」


 アリストフェルは、ティーカップから立ち上る湯気を眺め、ゆっくりと頬杖をついた。


「いや?クライアントファーストは我が社の基本方針だよ。言いたいことはわかるさ」


「ですよね。ボク、今でも憧れてるんです。アリストフェルさんが、揉め事の絶えないあの村の生命活動をすべて止めて、美しい『標本』に変えてしまわれた、あの独自の停滞美学に……」


 ヴァルプスは自嘲気味に笑い、カップを見つめた。


「ボクの契約者のレオンは、本当に誠実な人間でした。でも、ボクのせいで精神を疲弊させてしまった。だからこそ、ボクも彼を『標本』のように徹底的に管理して、傷つかないように守ってあげたかったんです。……閣下には怒られましたけど」


 ヴァルプスが見据えてくるのを、アリストフェルはしばらく無言で見つめていた。やがて、彼は耐えきれないといった風に、肩を揺らして笑い出した。目元は白い仮面で覆われていてわからないが、そのぶん大口を開けて愉快そうに笑う。


「ヴァルプスくん。慕ってくれるのは嬉しいけれど、君はまだ、酷く愛らしい小悪魔のままだね」


「……今のボクは上級悪魔です。あの頃のボクじゃない」


「階級の言葉遊びをしているつもりは、ないのだがね」


 アリストフェルは優雅な仕草でソファに背を預け、長い足を組み替えた。


「君の契約者――レオンという男は、人間の短い寿命の割には、随分と濃密な年月を生きてきた。その長い時間の中で、彼がどれほどの返り血を浴び、どれほど人間の醜悪な欲望を最前線で捌(さば)き、どれほど厚い嘘の皮を剥いできたと思っているんだい。……そんな男が、君のような子供の悪魔に守られるほど、純粋で無垢なわけがないじゃないか」


 ラウンジの空気が、アリストフェルが放った言葉によって冷え込んだ気がした。


「きっと彼はね、君が自分のために一生懸命、必死になって『優しい嘘の檻』を築き上げているのを、特等席で見物しながら楽しんでいるんだよ」


 アリストフェルは、手元のティーカップを愛おしげに見つめた。


「君がひとりで罪悪感を背負い、ああ、ボクが彼を守らなきゃ!と使命感に震えながら尽くしてくる……その健気な献身と、歪んだ支配。それこそが、今の彼にとって一番の精神安定剤であり、甘美な煉獄茶なんだ。

 ――ヴァルプスくん、君は守っているつもりで、その人間に完全に飼い慣らされているんだよ」


「……なにを」


 「君が看守を演じれば演じるほど、彼は安心して『無力な収集品』を演じられる。……君は彼を閉じ込めているつもりだろうけれど、実はね、その檻の中に自分から入って、君に鍵を持たせているのは彼の方だよ。飼い慣らされているのは、君かもしれないね? ヴァルプスくん」


「……っ」


 ヴァルプスが息を呑み、言葉を失う。思わず、立ち上がっていた。

 アリストフェルはふっと唇を緩めると、手元にあるティーカップを傾け、ヴァルプスのソーダの中に自分のお茶を数滴、悪戯っぽく滴らせた。炭酸の泡の中で、琥珀色の液体がじわりと濁って広がっていく。


「君の優しい嘘こそが、今の彼にとって唯一の『生きている実感』なんだ。彼は君の支配を受け入れることで、初めて、自身の空虚を埋めているのさ」


「そんな、こと……」


「まあまあ、これは私の勝手な推測ということで」


 アリストフェルは洗練された動作で立ち上がり、そのまま去るかと思いきや、ふと足を止めた。窓の外を流れる燐光の河ではなく、椅子の足元に伸びるヴァルプスの影を見つめ、声音を一段落として呟く。


「……安心したまえ。君が本当に『壊れた側』の不良品なら、専務は君を叱ったりしない。何も言わずに、ただ回収しているさ」


 彼は振り返り、いつもの食えない薄笑いを浮かべた。


「叱られたということはね、ヴァルプスくん。君はまだ、我が社の社員だ。

 ――それだけは、覚えておくといい」


 アリストフェルはそれだけ言い残すと、何事もなかったかのようにスマートな足取りでラウンジを去っていった。

 残されたヴァルプスは、濁ってしまったソーダを見つめたまま、静まり返った優雅な空間にひとり立ち尽くしていた。


※2026/05/29 大幅修正をしました。

※2026/09/28 大幅修正をしました。

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