『剝がれ落ちる仮面、あるいは共犯者の夜』①
第1部:論理の墓標、上司の眼光
【場所:バルナザール宮殿・第1特別監査室】
重厚な黒檀の扉が閉まった瞬間、そこは外界の音が一切遮断された「論理の墓場」と化した。
円卓の中央、バルナザールが魔導端末を叩く指先の音だけが、ヴァルプスの鼓動を急かすように無機質に響く。
横に居たアリストフェルは、微かに鼻を抑えてくしゃみを我慢しようとしていた。
「……さて。
君たち二人が並んで座っている姿を見ると、我が社の『コンプライアンスの欠如』を象徴しているようで、非常に不愉快だ」
バルナザールの声は、低いが絶対的な質量を持って部屋の空気を押し潰す。
彼は眼鏡を指先でわずかに押し上げ、黄金の双眸でヴァルプスを射抜いた。
ホログラムモニターにいくつかの写真が並ぶ。悪魔界本社へ入社する前、二人が行ってきた悪魔的所業をまとめた身辺調査書だ。
「アリストフェル。
君は現場で独自の停滞美学を振りかざし、本来は流動的であるべき現世の資産――あの村の生命活動を勝手に標本に変えた。
……そしてヴァルプス。君はその『規格外の不良品』を見て、恐怖するどころか目を輝かせて憧れた。
……あまつさえ煉獄茶などという不適切な贈賄を受け取り、業務中にティータイムを楽しんだそうだな?」
「閣下、ボクは……! あれは挨拶の一環で……!」
「口を挟まない」
一喝。その瞬間、バルナザールの影が壁一面に巨大な角を広げ、ヴァルプスの肩には数トンの重圧が物理的にのしかかった。
「ここは監査室だ。
私は上司であり、君は入社したばかりの新人。
口答えをする権利は、今の君にはない」
バルナザールは立ち上がり、ゆっくりと円卓を回る。彼の歩みに合わせ、床がかすかに沈み込んだ。
「ヴァルプス。君が守っているのはレオン・ド・ラ・ノワールの人生ではない。
君自身の可愛がられたいという矮小なエゴだ。
契約者に虚偽の報告書を書かせ、彼のその手を詐欺に染めてまで得た安らぎに、一体何の価値がある?
君が提供しているのは救済ではない。ただの甘やかしという名の麻薬だ。
……契約者の魂を汚してまで得る睡眠は、さぞかし心地いいだろうな?」
「……っ」
ヴァルプスは唇を噛み、隣のアリストフェルに助けを求めるように視線を送った。だが、先輩悪魔は目元を隠した白面の下で、ふっと口角を上げ、挑発的にバルナザールを見据えたままだ。
「……閣下。そう怒らないでください。
ヴァルプスくんは、私の狂気を見たからこそ、今の完璧な管理を築く決意をしたのですよ。
……私のような美しすぎる失敗作にならないためにね。
ね、ヴァルプスくん?」
アリストフェルは大仰に両手を広げる。
「 彼は私の惨状を反面教師にして、契約者を永久に閉じ込める方法を学んだ。
これは一種の、素晴らしい職場内訓練ですよ」
「……詭弁だな、アリストフェル」
バルナザールの指先から放たれた威圧感が、部屋に漂うアリストフェルの薄荷の香りを一瞬で霧散させた。
「君の失敗を教育の糧と言い換えるその厚顔無恥さだけは、評価してやらんこともない。
だが、他部署の契約領域を乱し、新人に不誠実を伝染させた罪は、言葉遊びでは拭えん。
アリストフェル。君には向こう三ヶ月、全契約の凍結と、北極圏での『氷の彫像監視業務』を命じる。
吹雪の中で、誰にも聞かれない自慢話を氷像に語り続けていろ」
アリストフェルの薄笑いが、わずかに引き攣った。
「そしてヴァルプス。君が今日、レオンの腕の中で眠る際、彼が君に嘘を吐かされたという事実を忘れるな。
君は彼を救っているのではない。君の弱さを守るための盾にしているのだ」
バルナザールは扉を指し示した。
「……今すぐカフェテリアへ消えろ。甘ったるいソーダでも飲んで、飲み干すまでに、自分たちが何者であるかを思い出すんだな」
「失礼……いたしました……」
ヴァルプスは、震える膝を必死に支えて立ち上がった。
アリストフェルは、一礼すらも皮肉な優雅さを保ったまま、ヴァルプスの背中を押すようにして部屋を去る。
扉が閉まる直前、バルナザールの背中から、冷徹な上司とは異なる重い響きがヴァルプスを追った。
「――ヴァルプス。次に私の前に立つ時は、『管理役』としての顔を見せろ。
……それまでは、二度と私の私邸に足を踏み入れるな」
※2026/05/29 大幅修正をしました。




