第159話:『不自然な吹雪ー 02/05 15:00 執行開始』
第4部:不自然な吹雪
部屋の中央では、バルトロメがただじっとレオンを見つめている。
そんな密室の膠着状態を破るようにテツヤの端末が震え、映写室の重苦しい静寂を打ち破った。
画面を覗き込むと、一階で待機するスタッフからだった。
急に吹雪いてきたので、CEOたちに確認をとった方がいいのではないか、という切迫した文面が綴られている。その文面を見た瞬間、テツヤは奥歯を噛み締めた。
外は雨のはずだ。雪が降るわけがない。テツヤの脳裏に、レオンにくっついてきたあの長身の秘書――ヴァルプスが浮かんだ。――あの『悪魔』だ。
あの男のことだ。主人がここで精神的に追い詰められている気配を察し、苛立っているに違いない。
テツヤは、映写室の空気がじわじわと冷え込んできたような錯覚すら覚えた。
手早く『待て。あの秘書はどうした?』と返信を送ると、数秒で呑気な答えが返ってきた。
『あの秘書さんなら、見回りをしてくるって言って外に出ていきましたけど』
「……おいおい」
テツヤは思わず呻いた。このまま試写会の打ち合わせが長引けば、一階の車庫どころか、このスタジオごと凍りづけにされかねない。
「レオン。外が吹雪いているらしい。
……お前のところの悪魔じゃないか?」
返事はない。
いや、聞いてはいるはずだが――。
テツヤの問いかけに、レオンは少しだけ曲がっていた背筋を伸ばした。だが、その視線は床に落とされたままだ。
口元に手を当てたレオンの唇から、酷く無機質な呟きが漏れる。
「少し、ログの整理をしたい」
一拍。
「……環境ノイズが多い。今は、切り分けができない」
そう言って、レオンは深い拒絶を示すようにゆっくりと目を閉じてしまった。それを見つめたまま、テツヤは無意識に舌打ちしかけて、やめた。
「……確認は終えた。続きは、またいずれ」
バルトロメはテツヤに薄い微笑みを見せたあと、机の上の紙袋とビール瓶を掴んだ。テツヤに軽く手を挙げ、開けた扉の隙間に滑り込むようにして姿を消す。その動きのあまりの鮮やかさに、テツヤは眉根を寄せて見送るしかなかった。
扉が閉じる音だけが、遅れて静寂の戻った室内に響いた。
テツヤはしばらくそのまま立ち尽くし、閉ざされた扉を一度だけ見やる。
追う理由は、もうない。
視線を落とすと、端末の画面がまだ淡く光っていた。吹雪の報告。既読のまま、返信はしていない。
――どうする。
一瞬だけ、一階へ降りる段取りを頭の中で組みかけて、やめた。
ここを離れるべき理由はある。だが、離れない理由の方が、今はわずかに重かった。
テツヤは端末を裏返し、机の端に置いた。
低く唸っていたプロジェクターの電源を落とす。ファンの回転音がゆっくりと沈み、室内の機械音がひとつずつ消えていく。残ったのは、換気口からの細い風の音と、もうひとつ――レオンの、浅く途切れがちな呼吸だけだった。
テツヤはレオンの方へは歩み寄らない。距離は保ったまま、背もたれに手をかけて、自分の椅子をわずかに引いた。
金属の脚が床を擦る音が、静まり返った部屋に必要以上に大きく響く。
レオンは動かない。目を閉じたまま、指先だけが、膝の上で微かに力を失っては戻るのを繰り返している。
――今は触るな。
そう判断して、テツヤはそれ以上何も言わなかった。
『外には出るな。距離を取れ。待機しろ』
送信してから、画面を伏せた。
テツヤの仕事ではない。だが放ってもおけない。
レオンは動かない。目を閉じたまま、浅い呼吸だけが続いている。
壁面のディスプレイの残光が弱まり、部屋の輪郭が一段と暗がりに沈んでいく。
テツヤは腕を組み、視線をレオンから外したまま、ただその場に居続けた。
外は荒れているらしい。だが、この部屋の中の方が、よほど手を出しにくかった。
しばらくして、テツヤは小さく息を吐いた。
――帰る気は、なかった。




