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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第157話:『誰かの言葉で埋めた場所ー 02/05 14:10 執行開始』

第2部:誰かの言葉で埋めた場所


 防音扉が閉められた瞬間、外を走る貨物列車の轟音や運河の風の音が閉じた。

 無音に沈んだ室内の空気に馴染んでいた男――バルトロメがゆらりと立ちあがる。そのスーツは、流行ではなく男の骨格に合わせて仕立てられた、いささか時代遅れな三つ揃え(スリーピース)だった。生地の端々に現れたわずかな擦り切れすら、彼が長年守り続けてきた紳士としての品格を物語っている。


「遅いぞ、レオン」


 バルトロメはレオンを足元から顔まで視線を流し、それから近場の革椅子を顎で指し示す。


「バルトロメ。こんにちは」


 不遜な演出家にレオンは小さく会釈をしてから、薄い微笑みのまま革椅子に深く腰を下ろした。

 狭い室内に置かれたプロジェクターが、低く唸りを上げる。


「始めるぞ」


 テツヤが操作卓のスイッチを指先で弾くと、闇の中に光の束が走り、壁のスクリーンに「それ」が映し出された。


「……」


 映像は、完璧だった。

 大聖堂を染め上げる落日の朱。ステンドグラスの光を背負い、かつてない悲壮美を湛えて佇むひとりの男。そして、その腕の中で崩れ落ちるレオン。

 構図、光、音楽――レオンが設計したすべてのロジックが、一つの狂いもなく調和し、観る者の精神を跪かせるような圧倒的な「救済の風景」を形作っていた。


 ――映像が終わった。


 暗転した室内に、テツヤがタバコを吸い殻に押し付ける音だけが響く。


「……出来は、お前の注文通りだ。修正の余地はねえ」


 テツヤが椅子を回転させ、暗闇の中でレオンを見つめた。その瞳は一人の兵站を担うプロとしての冷ややかな光が宿っていた。


 レオンは微動だにしなかった。淡い光に浮かび上がる表情筋の消えた顔はどこまでも整っており、先程まで浮かべていた微笑みは消えている。

 レオンは、機械的に唇を動かす。


「もう一度、見せてくれ」


 テツヤは無言のまま操作盤を弄る。再び流れる映像を、レオンは凝視した。

 映像は、再びレオンの設計した世界を映し出す。

 ロジックの正しさはすでに証明されていた。計算され尽くした色彩設計も、音響のタイミングも、すべてが最高到達点を示している。


「もう一度」


 レオンの言葉に、テツヤは指を動かす。

 レオンは瞬きを忘れたように映像の中の白い男と、それに抱きしめられる自分を見つめた。

 耳朶を打つ音楽はどこまでも柔らかく繊細で、ループし続けるその振動に、やがてレオンは右のてのひらで口元を覆う。


「完璧だ。だからこそ――」 


 レオンの手のひらの下で、かすかに歪んだ唇が言葉を紡ぎそうになり、そして沈黙に戻る。

 指の間から漏れる、ひどく浅い呼吸。かつてテツヤが知っていた余裕のある「ロジックの怪物」であるレオンの姿は、そこにはなかった。ただ、自らが組み上げた美しすぎる檻に閉じ込められ、窒息しかけている一人の気配だけがそこにある。 


 レオンの喉が、かすかに鳴った。


「……これではない」


 レオンの呟きは、防音室の厚い空気に吸い込まれるように消えた。

 操作卓の横で腕を組んでいたテツヤが、眉間に深い皺を刻む。


「これではない、とはどういうことだ、レオン」


 バルトロメの、低く、地鳴りのような声が響いた。彼は立ち上がったまま、ポケットに両手をねじ込み、レオンを見下ろしている。その立ち姿は、スクリーンに映る「英雄」のそれよりもなお、苛烈な現実感を伴っていた。


「構図は完璧。光の計算も、色彩の対比も、私が引いた図面通りだ。

 テツヤとバーソロミューの編集も、音響も、これ以上ない精度で応えてくれた」 


 レオンは視線をスクリーンから外さない。

 映像の中で、バルトロメの腕に抱かれた自分が、息を呑むほど美しい涙を流している。


「だけど――美しすぎる」


 レオンの言葉に、室内の温度がわずかに下がった。


「消費を、越える。

 ……だから、これは出せない」 


 レオンはゆっくりと顔を上げ、暗闇の中でバルトロメを見据えた。青い瞳には冷えた確信が灯っている。


「サカグチ。君はこれを、どうみる」


「……プロモーションビデオではない。……事件になる」


 テツヤの声は低く、警告を含んでいた。


「……公開すれば、お前の会社の株価は跳ね上がるだろうな。だが、お前個人は終わる。

 ……止めるなら、今だ。公開するなら、覚悟を決めろ」


 忖度のない事実を告げると、レオンは指先を膝の上で組み、強く握りしめた。

 レオンはしばらく目を閉じた。

 数分の後、やがて唇の隙間からため息とともに言葉を吐き出した。


「……公開は、見送る」


 レオンは静かに答えた。


「市場影響、および倫理的リスクが、当初の許容範囲を逸脱している。

 ……戦略上の、CEO判断だ」


 告げるレオンの声は完璧に制御されていたが、膝の上で組まれた指先だけが、白くなるほど強く、互いの皮膚を食い破らんばかりに握りしめられていた。

 レオンの声は、かつて居候時代に吐いた謝罪と同じ響きで、絶望的に突き放したものだった。


「……そうかよ」


「CEO判断」――この一言が出たら、決定は絶対に覆らない。

 テツヤはこの映像を、市場という戦場に叩き込むための「弾丸」として研ぎ澄ませてきた。だがレオンは、引き金を引く直前でその弾丸を自分の喉元へ突き刺したまま、動かなくなった。

 止めるなら今だ、とテツヤは警告した。だが、実際にレオンが止まってみせると、スタジオに残されたのは「救済」の残骸と――商品として成立していたはずの映像が、扱いようのない代物に変わっていた。カツサンドの匂いだけが現実だった。


 テツヤはそれ以上追及せず、機材の電源を淡々と落としていく。

 画面が消え、暗闇が戻る。


 テツヤが吐き出した紫煙が、機材の熱と静寂の中に溶けていった。レオンは動かない。


「CEO判断」という言葉で封印されたあの映像は、もはや「市場への弾丸」ではなく、レオンという個人の内側にだけ突き立てられた『毒』に変わったのだと、テツヤにはそう見えた。



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