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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第156話:『環境ノイズの定義ー 02/05 14:00 執行開始』

・サカグチ テツヤ

 ヒューマン(48歳)


・初登場回:第124話~第128話

主題:氷雨の再計算コールド・ブート



第1部:環境ノイズの定義


 二月五日 十四時


 ルテティア近郊、運河の澱んだ水面を叩く冷たい雨が、ひび割れた石畳を濡らしていた。

 その暗く沈んだ石の帯を辿り、かつて工業部品を吐き出していた錆びた倉庫へ、一台の煤けた黒い商用バンが滑り込んでくる。

 どこにでもある配達車両の外装。だがその内側が防御魔法と強化装甲の塊であることを、サカグチ・テツヤは路面の凹凸を拾う不自然な重量感から察していた。

 あらかじめ周辺の護衛や地元の顔見知りには根回しをして、不審者を一時的に遠ざけてある。それでも、テツヤは渋い顔のままだった。


 重厚な防犯シャッターが、断末魔のような軋み声を上げて跳ね上がる。

 バンが一階の薄暗いガレージへと吸い込まれた瞬間、彼は指示を投げた。


「シャッターを下ろせ」


 テツヤの低い声が響き、背後で巨大な鉄板が叩きつけられた。外の世界が切り離される。

 バンのドアが開くより早く、護衛たちの殺気がガレージの埃を震わせた。


「……そこまでだ。お互いにプロだろう」


 テツヤはタバコを吐き捨て、男たちの間に割って入った。


 張り詰めた空気の奥から、最後にゆっくりと姿を現したのは、この一触即発の状況を誰よりも面白そうに見守る人物――テツヤに動画製作を依頼したCEO、レオンだった。すらりとした長身を、角度によって怪しい青や紫の光を放つ、蝶の羽のような黒いスーツで包んで存在を主張する。


 ――相変わらず、現実離れした精度だ。人間の輪郭から外れてやがる。


 テツヤは内心で舌打ちした。二十年前、自分のアパートに転がり込んでいた頃の、あの貧相な居候エルフの面影はどこにもない。

 流れるような美しい黒髪。褐色の肌から覗く、長く尖った耳。だがその耳元からは、かつてはなかった黒曜石のように鋭い二対の角が生え出ていた。その黒い角の付け根は、皮膚を裂いて生え出たような生々しさはなく、まるで最初からそこにあったかのように滑らかに馴染んでいる。それが逆に、テツヤにはひどく作り物めいて見えた。

 宝石のような青い瞳を細め、不気味なほどの清廉さで微笑む。


「こんにちは、サカグチ」


 レオンはガレージの剥き出しの鉄骨や、煤けた空気を目を閉じて吸い込んだ。妙に気に入ったようだった。


「こんなにも荒れた、息の詰まるような場所に足を踏み入れたのは久しぶりだよ。

 いい場所に会社を作ったね」


 嫌味か本気か判別がつかない。発話と表情の整合が取れていない。

 自分を見つめるレオンの表情は、どこか無防備な甘えのようなものが滲んでいるように見える。

 テツヤは薄く目を細める。例の映像の件もあってか、今日はやけにレオンの機嫌が読めない。

 

 レオンは埃一つない革靴で床を軽く踏みしめる。それを合図に、後ろに控えていた長身の青年が一歩前に出た。彼もまた、異質な存在だとひと目で分からせる黒く大きな巻き角を頭部に宿している。

 隙のない佇まいの青年は、藤製の大きなバスケットを抱えてレオンの横に侍った。


「サカグチ、見て。君と、君のスタッフのために持ってきたんだ。

 三地区の行列店で出来立てを作らせたカツサンドと……地元の醸造所から直接仕入れたクラフトビールだよ」


 バスケットが開けられた瞬間、排気ガスと鉄錆の匂いが、揚げたての香ばしいソースの香りに塗りつぶされた。背後でスタッフたちが色めき立つ。

 予約困難な行列店のカツサンド――。


「サカグチ、これ好きだったよね」


 レオンは柔らかい微笑みを浮かべたまま、テツヤを見つめて小首を傾げてみせた。


 ――ああ、やっぱりだ、とテツヤは内心でため息をつく。

 こいつはテツヤの機嫌を取りたいときは決まってこの店のカツサンドを買ってきた。その匂いを嗅いだ瞬間、テツヤの網膜に映るCEOが、一瞬だけ昔の男と重なる。


 世間では「#LEON_KAWAII」と笑われ、投資家には「神格」として畏怖されている男が、目の前で「最高の差し入れをくれる気前のいい太客」に擬態している。


 テツヤは冷めた目つきでバスケットを見つめた。


「うちの若い連中にそんな美味いものを見せたら、今日の仕事が手につかなくなるぜ」


「でも。たくさん食べてほしくて……」


 レオンはほんの少し目を伏せて、あらためて微笑み直した。テツヤはその瞳の奥にある「不自然さ」を見逃さなかった。


 レオンがさらにテツヤの側へ近づこうと足を踏み出す。それを、横に控えていたヴァルプスが片手を伸ばし、主君を守るように押し留めた。

 瞬間、氷のような冷気がガレージに漂い、スタッフのひとりがくしゃみをした。壁のネオン管が異常な魔圧に悲鳴を上げる。


「……レオン、接触距離を保ってください」


 ヴァルプスの低く響く声。彼はテツヤたちを射抜くような視線で警戒していた。

 

 テツヤは新しいタバコを取り出して唇に挟み、機材への悪影響を懸念するようにあたりを見回す。


「ヴァルプス。大丈夫だから」


 レオンがそっとヴァルプスのコートの裾を引っ張ると、ヴァルプスは静かに魔圧を消し、直立した。


「……助かるよ、プレジダン。

 そこの蒼石灯は先週替えたばかりでね。壊されたらうちの経理が泣く」


 ヴァルプスのコートを握るレオンの褐色の手に、白い包帯がちらつく。それを一瞥したあと、テツヤは声を張り上げた。


「チーフ!物資を一階の連中に分けてやれ。

 黒ずくめのお二人さんと、そっちのデカい……秘書さんにもな。

 ……あとは、俺が二階へ持っていく」


 テツヤはカツサンドの入った紙袋を三つ、無造作に掴む。

 それから鉄製の重い防音扉の鍵を開け、奥のスタジオへと促した。


「バルトロメさんは中で待ってる。

 あんたが満足するだけのものは用意してある……さあ」


 レオンが先を歩く。その足取りは、調子が良い時の歩き方に見えた。

 ほんのわずかに歩幅が速い――焦っているのは珍しい。

 それだけが、テツヤにはどうにも気にかかった。




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