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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第151話:『不条理の変換 ー 02/02 18:10 執行開始』

第2部:不条理の変換バースト・コンバート


 事務所四階、護衛兵舎フロア。

 ヴァルプスが電子ロックを解除し、重厚な気密扉を開ける。

 扉が開くと、視界を遮るもののない、サファイア・ネイビーの石畳が遥か先まで広がっていた。右手の壁では隊員たちが黙々と銃を磨き、左手のラウンジでは夜食を摂る者たちがいる。

 ビジネスビルとは思えない殺伐とした軍事空間にレオンが足を踏み入れると、訓練中の護衛たちが一斉に直立不動で敬礼する。ヴァルプスが手短なハンドサインを投げると、隊員たちは流れるような動作で壁際に散り、中央を空けた。

 

 メイがレオンとバルナザールを交互に見上げ、タブレットの画面を鋭く叩いた。


「顧問。一応、契約条項の最終確認です。

 今回新調したスーツ一式は、二月の決算会場において、投資家たちの魔圧を浴びても『非破壊アンブレイカブル』であることを証明して初めて、マスターニードルへの成功報酬が確定します」


 メイは冷徹な視線をバルナザールに向け、特記事項を赤枠で囲った。


「今回はあくまで動作確認デバッグの演習に留めてください。

 万が一、顧問の過度な攻撃でスーツが全壊し、アセット価値を喪失させた場合……その全額を、顧問の今期ボーナスから相殺、あるいは直接お支払いいただきます」


「……なんだと? 私が金を払うというのか?

 雇い主の稽古をつけてやって、なおかつ負債を負えと?」


 バルナザールが不快そうに眉を寄せ、低い唸り声を上げる。レオンはその横で、バルナザールの機嫌を損ねないよう、かつメイの正論を補強するように神妙な顔で頷いた。


「わかっているよ、メイさん。これは私の『投資』だ。

 ……壊さない程度に、かつ限界まで攻めてもらうさ」


 レオンのその答えを聞くと、メイは満足げに一度だけ頷き、タブレットを鞄に仕舞い込んだ。


「それでは、私は定時ですので。

 ……これ以上ここにいても、私の時間外手当が積み上がるだけで会社の不利益です。

 なにかあればメールにて。――返信は明日の始業以降になりますが。

 マルヴェイさん、取得した耐久データは直接サーバーへ。……では」


 メイは一礼すると、爆弾のような重圧を放つ大悪魔を背に、迷いのない足取りで魔導昇降機へと向かっていった。

 メイの代わりのように、壁際に控えていたマルヴェイが歩みを進め、ヴァルプスと並び立つ。


 広大なフロアの端では、交代を待つ数十人の隊員たちが影のように上司の様子を伺っている。

 中央の訓練エリアにはすでにバルナザールの放つ魔圧で生じた『目に見えない境界線』が引かれていた。隊員たちは通常の生活では見ることのできない大悪魔と、彼と対峙しているレオンを見つめていた。

 隊員たちの心配と好奇の視線が、そのまま決算会場での予行演習になる。


 レオンとバルナザールはフロアの中央に進む。相対する二人を取り囲むように、床に防御魔法陣の光文字が展開した。


「まずは、軽く撫でる程度にしておこう」


 バルナザールが腕を組みながらレオンを見下ろす。


「助かります。

 まだ領収書を書きたくはありませんから」


「減らず口が叩けるうちは、余裕がある証拠だ」


 レオンは背筋を伸ばし、バルナザールを見上げた。


「……動くな」


 バルナザールの声は低く、静かだった。


「……はい」


「耐久を見るのではない。

 君が――どこまで立っていられるかを見る」


 その言葉と同時に、空気の密度が変わった。


 重い。

 目に見えない何かが、レオンの肩に乗る。

 スーツの裏地が微かに振動し、編み込まれた魔導回路が青く明滅した。


「……どうした。

 もう、値札が剥がれそうか?」


 レオンは歯を食いしばり、口端をわずかに持ち上げた。


「いいえ。

 まだ……耐えられます」


「では、軽く圧をかけよう」


 バルナザールは、やけに穏やかな声で言った。その声音が、かえって信用できず、レオンは少し身構える。


「……軽く、ですよね」


 レオンは一応確認する。


「もちろんだよ。服の性能確認なのだから」


 言いながら、バルナザールが片手を掲げる。


 その瞬間、空気が――わずかに、沈んだ。

 音が消えたわけでも、風が吹いたわけでもない。

 ただ、床が一ミリほど近づいたような感覚があった。


「……っ」


 足裏が、重い。

 体重が増えたわけではない。

 空間そのものが、押し下げてくる。

 肩に、静かに荷物を積まれていくような圧。


「どうかね」


 バルナザールが淡々と言う。


「……それを、軽いって言うんですか」


 レオンは息を整えながら、睨んだ。


「通常の転倒事故や、落下物への初期対応として妥当な範囲ではないかね」


 理屈は分かる。

 分かるが、納得はできない。

 足が、じわじわと床に吸い付く。

 だが――


「……破れて、ませんね」


 マルヴェイが、横から楽しそうに身体を傾ける。


「当然だ」


 バルナザールの声が、ほんのわずかだけ誇らしげに上向いた。


「この程度で破損するようでは、仕立てた者の名折れだろう」


 バルナザールが悠然と一歩、前へ出た。

 さらに、圧がわずかに増す。

 石畳が凄まじい低音を立てて軋んだ。物理的な衝撃ではない。

 ただ、空間そのものが軋んでいた。


 バルナザールの圧が強まった瞬間、ヴァルプスの影がわずかに床を広がった。それは前へ出るでも、退くでもない――ただ、境界を測るような広がりだった。

 レオンは、バルナザールを軽く睨む。


「増えていませんか?」


「安全域だ」


 バルナザールは即答する。


「アラート:外部圧力が規定値を110%突破。機体保護回路プロテクション・レイヤーを起動します」


 レオンの耳元でA.I.D.Aの無機質な声が響くと同時に、スーツの裏地がチリチリと熱を帯びた。

 アイスシルバーのシャツを伝い、全身の毛穴が逆立つような感覚。しかし、かつてのような「押し潰される」恐怖はない。スーツに編み込まれた銀糸が、バルナザールの魔圧を「不純なノイズ」としてではなく、純粋な「魔力」へと変換していく。


「……マルヴェイ」


 レオンは正面を見据えたまま、短く命じた。

 名を呼ばれたマルヴェイが、タブレットをなぞる指先を躍らせ、歪な笑みを深める。


「体温上昇を検知しました。心拍数120、排熱効率は良好。

 ……あぁ、素晴らしい。今の君は、バルナザール卿の威圧を喰らうほどに、その『経費のかかった殻』の中で研ぎ澄まされていく」


 マルヴェイの指が画面を叩くたび、レオンの視界に膨大な青いログが流れる。


「君の右肩に掛かっている三トン分の重圧を、脚部の重力制御へバイパスしました。

 ……さぁ、一歩。歩いてみせて」


 レオンは、重厚な靴音を響かせて一歩踏み出した。

 普通なら全身の骨が砕けるような圧力の中で、レオンの動きはむしろ、以前よりも軽やかで、かつ力強かった。


「……あぁ、完璧な歩様ログだ」


 マルヴェイはうっとりとタブレットごしのレオンの身体を指でなぞった。


 レオンは深く息を吐く。

 胸が押される。

 だが――布地は沈まない。

 肩も、腕も、縫い目も。

 まだ、保っている。


「……十分です」


 レオンが言った。静かに両手を上げ、ネクタイを締め直す。


「これ以上は、訓練ではなく破壊試験になります」


 その言い方に、バルナザールの金の瞳が、感心したように細められた。


「……そうだな」


 圧が、ふっと抜けた。

 世界が軽くなる。

 空気が戻る。


「耐圧性能は確認できただろう。君が立てるのなら」


 そう言いながら――

 バルナザールは、ほんの少しだけ満足そうだった。

 頼まれた仕事を、やり遂げた顔で。


「……今回は、衣服の試験だからな。

 本体試験は、また別の機会だ」


 一瞬だけ、崩壊したスーツの記憶が脳裏をよぎる。

 ――だが、レオンは挑戦的に笑った。


「……ええ。おかげさまで『顧問の不機嫌』という天災まで予算バジェットに組み込む学習をしましたから。

 ……もう、一方的に壊されるつもりはありませんよ」


「……減らず口を」


 レオンの青の瞳に楽しそうな感情が滲んでいるのを見て、バルナザールは今度こそわかりやすく口の端を上げた。


 壁際の隊員のひとりが、息を吐くのを忘れていたように咳き込む。

 レオンとバルナザールが外に視線を投げる瞬間、世界からはゆっくりと音が戻っていった。

 誰も、しばらく声を出さなかった。

 

 A.I.D.Aの警告表示は、すでにすべて緑に戻っていた。




※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。

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