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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第142話:『静止画の凪 ー 01/29 13:30 執行開始』

第3部:静止画のスタティック・バッファ


 レオンはアメリアに静かに近づくと、片膝をついて頭を垂れる。

 アメリアが白い衣装の隙間から手を出すのを受け取り、手の甲に儀礼的な口づけを行った。

 

「アメリア……聞いてくれ。

 私の『冒険』に、不必要なパッチを当てるのは控えてほしい」


「……ごめんなさい、レオンさん。

 ……でも、その完璧なキメ顔を見れば見るほど、あなたの背後に『ニンニクの精』がダンスしているのが見えて……!ふふっ!」


 レオンは一礼もそこそこに、すぐさま手元のタブレットを起動した。

 温室内の気圧、温度、そして何よりアメリアの多幸感指数ハピネス・インデックス。画面上を、アラートが横切る。


「……想定内。だが、高すぎる。

 至急、蓄魔回路のチェックを」


 アゼルフィードが職員と慌ただしく通信を繋いでいく。背後で、外界へと繋がっていた通路が断頭台の刃が落ちるような「ドスッ」という鈍い音を立てて塞がった。接合部から漏れていた風切り音が消え、温室は瞬時に、美しくも息苦しい密室へと変貌する。


「レオンさん? そんなに怖い顔をしていては、折角の春が台無しだわ」


 アメリアが首を傾げ、さらに楽しげに目を細める。その微かな表情の変化に反応し、天井から垂れる星型の灯りが一斉にまばゆい光を放って過剰な魔力をパージし始めた。


「……怖い顔をしているのは、私の首がかかっているからだ。

 アメリア、よく聞いてほしい。

 二月十二日の決算開示まで、君の笑顔一つ、溜息一つが、私をインサイダー取引(市場操作)の罪で檻に叩き込む凶器になる」


 レオンの声は、切実さを通り越して、もはや掠れていた。


「お願いがあるんだ。

 今日から十二日まで、あなたは世界で一番不機嫌な『公的資産』でいてほしい。

 喜びはすべて『バッファ(貯蓄装置)』へ流す。市場を揺らさない、退屈なほどに平坦な凪。

 ……それが今の私にとって、唯一の救いなんだ」


「……まあ。私を『静止画』にしろと。

 私に魂を預けてくるのは、あなたなのに」


「……っ、それは……」


 アメリアの微笑みが、少しだけ挑発的な色を帯びる。

 レオンは、彼女の瞳の奥に潜む「デバッガー」としての好奇心を、震えるような思いで見つめ返すしかなかった。


「……おもしろい日常を送っているのは、レオンさんなのに……なんだか理不尽さを感じるわ。

 ……それで」


 アメリアはただ優しい微笑みを浮かべながら、レオンに手を差し出す。

 その仕草には、まるで当然のように「続き」を求める気配があった。


「……残りのデータは、渡してはくれないのですか。

 まだ、お持ちですよね?」


 レオンは、その手を見たまま一瞬だけ言葉を失った。

 脳裏に浮かぶのは、まだ整理されていない未送信ログの列。アメリアが笑いとして処理できるものと、そうでないものが、同じフォルダの中で混ざり合っている。

 すべてを受け取り、読み込んだあとのアメリアの顔を、レオンは直視できる勇気がなかった。


(……少し、怖い)


 喉の奥でそう呟きかけて、レオンはそれを飲み込む。


「……今、この場ではやめておこう」


 静かな声だった。だが、その一言には明確な境界線があった。


 アメリアの指先が、わずかに止まる。

 それでも表情は崩れない。ただ、微笑みの奥にほんの少しだけ、温度の違う光が差した。


「まあ……意外ですわね」


 アメリアは小さく肩をすくめた。


「あなたが私に預けるものは、全部だと思っていましたのに」


 軽く笑うその声は、いつも通り柔らかい。

 だがレオンには、それが拒絶の意味を理解した上での確認だと分かっていた。


「……すべてだ。それは変わらない。

 君は、私の星なのだから」


 レオンは目を伏せ、白い床を見つめる。床には天井からの灯りが反射し続け、レオンの目を焼いた。

 レオンは一度目を閉じたあと、不敵な笑みを浮かべて顔を上げた。


「アメリア。

 君が笑わなければ、私は十二日に、君にもっとおもしろいものが見せられるかもしれない」


 アメリアは僅かに目を見開いて、それから微笑み直す。


「では、その十二日後の私を。楽しみにしておきましょう」


 差し出された白い手は、静かに引かれた。

 その瞬間、温室を満たしていた過剰な熱量が、ほんのわずかだけ落ち着く。

 まるで世界そのものが、一度だけ呼吸を整えたように。


 レオンは息を吐いた。

 だがその安堵は、救いではなく「先送りされた負債」の感触に近かった。


 立ち上がったレオンの視界が同期ズレを起こした。

 換気制御異常の肺が熱い湿気を拒絶し、脳内のA.I.D.Aが警告ログを乱打する。


 [CRITICAL: CPU Overheat]

 [Logic System: Destabilized]


「レオン、出力が限界オーバーフローです」


 背後から伸びてきた漆黒の腕が、レオンの肩を力強く、だが壊れ物を扱うような慎重さで抱きとめた。ヴァルプスの胸板の冷たい硬さが、レオンの背中に伝わる。  

 それは陽だまりのような温室の中で、唯一の「現実の重み」だった。


「……ヴァルプス。

 私はまだ、彼女と打ち合わせが……決算会場の話もまだ」


「これ以上の対話は、あなたの『凪』を完全に損なわせます。

 ……今は、ボクに預けてください」


 ヴァルプスはレオンを背後に隠すように一歩前へ出ると、アメリアへ向かって静かな一礼を捧げた。


「アメリア様。……主さまの無作法、お許しください。

 今の彼は、決算という名の巨大な演算ノイズに脳を焼かれ、自分の心臓の叩く音すら、不正なログだと怯えている状態です」


「……あら。私の騎士様は、そんなにすぐボロボロになってしまうような方ではないのだけれど」

 

 アメリアの紫の瞳が、面白がるような色から、少しだけ痛ましげな、そして深い慈しみを湛えたものへと変わる。

 レオンはヴァルプスの腕に手を伸ばし、床を踏みしめた。そんなレオンの腰に回した手に力を込め、抱き寄せながら、ヴァルプスは言葉を続けた。


「どうか、アメリア様。本日はこれにて。

 ……十二日、全てのノイズが消えたあとに、主さまは必ず、『静止画』を動かしに参ります。

 ……それまでは、どうか世界を少しだけ退屈なままにしておいてはいただけませんか」


 アメリアの目に、ヴァルプスに抱き寄せられ抵抗のないレオンの姿が映り込む。

 ヴァルプスを許容している。それを感じたアメリアは浮かべていた微笑みを静かに抑え、ヴァルプスと視線を交わした。

 双方の瞳に乗る感情は、レオンの瞳が閉じている間だけ同一のものになる。それは憎しみとも、怒りともいえない濁った共感であった。

 いちどの瞬きの後、アメリアは目線をそらし、小さくため息を付く。


「……いいわ。今日は、そこまでにしておく」


 ゆっくりと、だが確実に周囲に満ちた魔力が霧散していく。部屋の入口で様子を見守っていた職員たちが天井を仰ぎ、検知器を持ちあげた。安堵の溜息が広がるなか、ヴァルプスは意識の混濁したレオンを抱き上げ、回廊へと歩き出す。

 その背中に向かって、アメリアはひらひらと手を振った。


「――またね、私の騎士様」


 それから、アメリアは最後にもう一度、誰にも聞こえないほどの小声で囁いた。


「ヴァルプスくん。

 あなたはまだ彼の『隣』にいていいわ。彼の『心』のログは、まだ私が保持しているもの」


 ヴァルプスは耳の先をぴくりと揺らし、足を止め、振り返る。

 メイドたちに寄り添われ、姿を埋没させていくアメリアに対し、ヴァルプスは冷たい視線を投げた。


「……あなたが精神キーをお持ちなら……こちらは物理側を取るだけです」


 ヴァルプスはレオンを抱き直し、職員に誘導されて医務室に歩き出す。

 レオンは眉根を寄せて目を閉じたまま、ヴァルプスの腕を掴んだ。


「……ヴァルプス。アゼルフィードに……第十二層の……工期を……早めろと伝えて」


「……伝えておきます」


 ヴァルプスは呆れ混じりにため息をついた。


 温室の気圧が正常値に戻る。

 モニター越しにそれを見ていたアゼルフィードが、手元の「変異記録」に【一時的な凪:監理官の精神崩壊キャパシティオーバーにより強制終了。なお、第十二層の予算は執行済みとする】と無機質な注釈を加えた。




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