第132話:『愛という名の命令文 ー 01/28 20:23 執行開始』
第4部:愛という名の命令文
バルトロメの、低く楽しげな鼻歌が空席に反響した。
マルヴェイは袖口で口元を隠しながら、そっと微笑んでいる。
バティストは、静かにレオンを見据えていた。
バルトロメも、マルヴェイも、そしてバティストも。
会場に存在する者たちの「合理」という名の冷たい壁に囲まれ、レオンだけが、場違いな熱を抱えたまま取り残される。
ヴァルプスは依然として、彫像のような静謐さで自分を射抜いている。
その瞳には、軽蔑も同情もない。ただ「そこに在る主君を、一瞬たりとも逃さない」という観察欲があるだけだ。それが、今のレオンにはどんな罵倒よりも残酷に響いた。
レオンは、言葉を返すことを拒むかのように、反論を飲み込み、押し黙ったまま演台を見下ろした。
頭の後ろで警鐘が鳴る。
ヴァルプスは大聖堂での撮影シーンを見ている。そのうえで、この祝辞を聞いたら、きっと推測される。
(踏み込まれたら、壊れる。だから、ここで止める)
一度、深く、肺の中の冷気を入れ替える。
(もう、いま、見せてしまうしかない)
調整されたスポットライトが、光の柱となり降り注いでいた。
白き光と熱が、レオンの身体をぎしりと稼働させた。
「……いくかぁ」
気の抜けたような声は、本人の周りで溶けて消えた。
レオンは顔を上げ、背筋を伸ばし。そして口を開いた。
「……栄光ある、アルジャン・ブルーの市民よ。
規律は銀、愛は檻。
私はあの日、叔父上に役割を与えられ」
演台を握るレオンの指に力が入る。
「『無価値な情動』というバグを、完全に捨て去りました」
朗々とした、それでいて血の通わない声が会場に響き渡る。
……抜けた。四行目の断崖を飛び越えたと感じた瞬間、レオンの指先から、一瞬だけ人間らしい震えが消えた。
「……今、私の胸にあるのは」
(……五行目。ここからは、ただの余白だ)
後半からはさらに淀みなく、声は震えることもなく言い終わる。
「凍てつく冬の温室のような、凪いだ静寂のみ。
この静かな忠誠こそが、
皆様の利益を約束する、唯一の担保です」
耳元に指をあて、A.I.D.Aの鳴らすタイマー音を一度止める。
レオンは、自分の中の「心音」をシステムでねじ伏せたまま、ヴァルプスを見た。
レオンの口角が、ほんの数ミリ、弧を描く。
レオンの笑みに、ヴァルプスは一瞬、視線を凍らせた。
胸の奥で、小さなざわめきが走る。
読み解こうとする理性と、直感の圧迫感が互いにぶつかり合う。
なぜ、あれほど汚濁に満ちた祝辞を受け入れたのか。
なぜ、あの屈辱的な文面を、これほどまでに気高く響かせることができるのか。
思考の点と点を繋げ、ヴァルプスは辿り着く。
──これは、「いまは触れるな」という無言の宣告なのだと。
ヴァルプスは、レオンから視線を切った。
胸の奥で、煮えくり返るような苛立ちと、抗いようのない敬意が火花を散らしている。
ヴァルプスは、端末の録画停止ボタンをゆっくりと押した。
指先に残る微かな熱が、今見たばかりの「怪物」の残像をなぞっている。
(……気に入らない。反吐が出るほどに)
叔父の傀儡に甘んじ、自ら「無価値なバグ」と名乗った主君。だが、その声には一片の揺らぎも、卑屈さもなかった。
泥を飲み込みながら、その瞳は誰よりも鋭くヴァルプスを拒絶している。
「観察対象」として見下ろしていたはずが、気づけばその圧倒的な「独りの矜持」に、自分の方が気圧されていた。
(だが、壊れなかった。……あの毒を食らって、なお立った)
期待以上の「地獄」を歩みきったという事実が、否応なくそこに残った。
「……許容範囲、です」
掠れた声で呟き、ヴァルプスはわずかに息を吐いてから、端末をしまう。
ヴァルプスは隣に座るバティストと視線を交わし、重い腰を上げた。
会場のどこかで、押し殺していた呼吸が一斉にほどけた。




