第131話:『透明な喉の演算ー 01/28 19:55 執行開始』
第3部:透明な喉の演算
レオンは耳裏に仕込んだ魔導パッチを展開させる。
A.I.D.Aがスタートアップのアラームを、短く鳴らした。
レオンは演台を掴む指に力を込め、鏡の下を走る青白い回路の脈動を感じ取った。
「……質疑応答演習、開始」
マルヴェイの言葉が、天井の星図に反射して降り注ぐ。
マルヴェイの指先が虚空を叩き、レオンの視界に膨大な「悪意ある数式(質問)」がホログラムで展開された。
それは、投資家が抱くであろう「疑念」と「強欲」を、マルヴェイが予測変換した醜悪な質問群だった。
「……では」
闇の中から、バルトロメが粘りつくような、それでいて枯れた事務的な声を放つ。
彼は客席の「零番」のさらに後ろ、影の底に沈んだ椅子に深く腰掛け、投資家の役を演じはじめた。
「……レオン代表。
今期の魔力資産の流動性について、連邦の監査から0.02%の乖離を指摘されている。
これに対する修正プログラムの進捗を伺いたい」
レオンの視界の端に、マルヴェイの無機質な解析コードが走る。
レオンは演台に指をかけ、零番の空席を見つめた。
「……既にパッチは適用済みだ。その乖離は、アルジャン・ブルーの冬の低温による伝導効率の低下、つまり物理的な熱損失に過ぎない。
次四半期までには、数理モデルを気候変動に対応させ、完全に収束させる。……懸念には及ばない」
一瞬の間を置いて、バルトロメは押し黙る。闇の中、カメレオン・グレーの瞳がレオンを射抜く。
バルトロメは声を一段低くし、獲物をなめるような響きを載せながら椅子から身を乗り出した。
「……なるほど。では、その『熱損失』についてだが。
……噂によれば、君はアメリア姫という膨大な公的資産を、個人の情動で過保護に扱っているという。
……もし彼女が、君という『脆弱な管理者』のせいでオーバーヒートを起こし、連邦のエネルギー供給が止まったら? 君はその命で、全市民の暗闇を贖えるのか?」
レオンは喉を微かに鳴らす。即座に無表情の仮面を被り、口を開いた。
「……彼女は資産ではない。……だが、同時に管理不能なバグでもない。
彼女と私の間に流れるのは、規律に基づいた『最適な魔力循環』だ。
……万が一、彼女が止まるときは、私の心臓が先に止まっている。……納得いただけたはずだ」
バルトロメは楽しそうに目を細め、前の座席の背もたれを強く握った。
「……素晴らしい。さすがはド・ラ・ノワールの『最後の一片』だ。
……だが、君というシステムは、『無駄に長い寿命』を、あと何年この退屈な演算に捧げるつもりだ?
投資家は、君の志ではなく、君がいつ『飽きて壊れるか』を心配している。
……君は、自分という存在が、単なる交換可能な『銀の部品』に過ぎないことを、自覚しているのかね?」
レオンは一度目を閉じる。左斜め後ろにいるであろうオスカルの幻影を感じ、ぞくりと肌が震えるのを感じながら目を開けた。その時にはもう、レオンの瞳からは光は消えていた。
「……慇懃なご心配、痛み入る。……私が部品か否か、そんな低次元な問いに意味はない。
……私は、連邦という巨大な数式の『一変数』に過ぎない。
……私が壊れれば、叔父上が新しい部品を差し込む。それだけだ。……私の自我など、この大鏡の床に映る、実体のない影と同じだ。
……初めから、存在すらしていないのですよ」
丁寧な言葉とは裏腹に、その双眸には、自分という存在を「無」と断じた静かな確信が載っていた。
バルトロメは客席で深くのけぞり、暗闇で笑う。その笑いは爬虫類の声を思わせる異質さで、横にいるマルヴェイは興味を惹かれたように目を瞬かせた。
「……いい回答だ。……君は今、完璧に『透明』になった。
……では、その透明な喉で、最後の宣言を聞かせてくれ。
君の叔父上の『愛』という名の檻のなかの、君の再起動をな」
「……わかった」
レオンは淀みない動作で演台の起動キーを叩く。
鏡の床から吸い上げられた銀の光が、空間を切り裂くように八行の論理構成を編み上げた。
客席を右から左へと見渡す。各所に散る黒い護衛と、中央付近に座るマルヴェイとバルトロメ、それから左奥に座るバティストを見て、その横に座るヴァルプスに目を留める。
レオンは、ヴァルプスを二度見した。
(さっきまでは、いなかった)
無機質な客席の影。
微動だにせず自分を見つめるその視線を、意識の外へ追い出すことができなかった。
「訓練の延長」の感覚が、ヴァルプスがいるのを認識した瞬間に本番になる。
「ヴァルプス……まだ、業務の範囲だ。
……見学は控えてくれると助かる」
(お前は仕事じゃなくて、個人として見ているだろう)
ヴァルプスは反論しなかった。ただ静かに、隣に立つバティストへ視線を投げる。
「本件は、国家規模の公開行事に関わります」
バティストが、平坦な声音で冷徹な規約を読み上げるように言った。
「安全保障上、個体守護の立会は、むしろ歓迎されるべき事項です。
……代表、予定を三分超過しています。速やかに、スクリプトの検証を」
バティストの冷徹な催促が、逃げ場を塞ぐ。
レオンは、ヴァルプスから切り替えるように視線をホログラムへ戻した。
――規律は銀、愛は檻。
逃げ場はない。




