第130話:『鏡海の配置 ー 01/28 19:35 執行開始』
第2部:鏡海の配置
白く重厚な木の扉が開くと、そこには「鏡の海」が広がっていた。
磨き上げられた硬化硝子の床には、天井の星図ドームが冷たく反射し、レオンの足元に「もう一人の自分」を映し出している。
天井の蒼銀の骨組みは、夜空の星図を切り裂く蜘蛛の巣のように張り巡らされ、彼を逃げ場のない光の檻に閉じ込めていた。
ヴァルプスが護衛たちと打ち合わせをしながら姿を消していく。その様を一瞥し、レオンはバティストを引き連れて静かに歩き出す。
広大な客席を見下ろすと、ここには三千の観衆が座ることになる。その視線は、一斉に自分に向けられれば刃のように突き刺さるだろうと、レオンは思った。
レオンは胸元から端末を取り出し、バティストから渡されたデータを確認する。
バルナザールが手配をしたチケットのリストと、確保された顧問派閥の座席数を読み直す。レオンは軽く息を吐き、端末を閉じた。
「……予備席(定席)の五百は、すべて『壁』として使う」
レオンの吐き出した声は、硬化硝子に跳ね返り、冷たく響いた。
「顧問の視線は、この演台に釘付けにする。彼は三千の視線が交錯する照準の中心に置かれる」
レオンは演台の端に指をかけ、ミリ単位の狂いも許さぬように客席のど真ん中――「零番」を凝視した。
レオンはが床を踏みしめると、微かな重圧を感知した魔導回路が応え、零番の周囲だけを鋭い円状に発光させる。それはまるで、獲物を逃さないための魔法陣のようだった。
「彼が背後を振り返る自由は与えない。
零番の真後ろ、五百の空席すべてをエトワール・ガードで埋め尽くせ。
……そうすれば、顧問は前を向くしかなくなる。投資家たちが放つ強欲な熱気を、その無防備な背中に浴び続けながらな」
レオンは床の鏡面に、黒い革靴の先で一筋の線を引いた。それは演台上で自らの立ち位置を固定し、二人の敵を永久に分断するための「国境線」だった。それから彼は、左斜め後ろ――上手の暗がりを振り返る。
「……叔父上はここに置く。
私の体が巨大な遮蔽物となり、零番の顧問からはその姿を完全に消し去る位置だ。
……だが叔父上、あなたからは私の横顔も、顧問の無防備な後頭部も手に取るように見えるはずだ」
レオンは鏡の中に映る自分を見下ろした。
実物の自分は無表情のままだが、映りこむ『彼』は、暗い歓喜に瞳を濡らして笑っているように見えた。
「二人の視線が交わることは決してない。
……声だけを、私の背中越しに聴かせてやる」
レオンは一度目を閉じ、呼吸を整えてからゆっくり顔を伏せた。視線を上げ、バティストに向ける。
その青い瞳は濁り、まるで光の届かぬ深海を覗くようだった。
「バティスト。君たちには、当日の『完璧な舞台裏』を作ってほしい。
叔父上には“自分だけが覗き見ている”という特権意識を、顧問には“自分だけが守られている”という錯覚を与えろ。
……期待している」
「はい」
バティストは感情の読み取れない氷鋼色の瞳でレオンを見据え、静かに演台の足元を指した。
コツ、と黒い傘の先で床を叩く。その微かな振動が、鏡の下に眠る魔導回路を一瞬だけ青白く発光させた。
それを合図にしたかのように、会場の空気が微かに揺れる。
広大なホールの奥。
青白い端末の光に照らされたマルヴェイが、幽鬼のように佇む。その隣、影の中に深く沈み込んだ客席から、バルトロメの肉を裂くような鋭い声が響いた。
「……そろそろ、始めよう。レオン」




