第129話:『削削する銀の街灯 ー 01/28 19:00 執行開始』
第1部:削削する銀の街灯
一月二十八日 十九時
首都ルテティアの凍てつく夜。
流れる街灯の銀色が、高級車両の防弾硝子を規則正しく撫でていく。
レオンは窓に頭を預けたまま、死人のように動かない。青白い外光が、彼の陶器のような横顔を掠めるたび、その皮膚の薄さと、静止した危うさが浮き彫りになる。
「……レオン」
隣に座るヴァルプスが、影の中から静かに名を呼んだ。その声は極めて静かだが、獲物を検分するような熱を帯びている。彼は手元のホログラム・タブレットを最小輝度で展開した。
「十九時半の会場到着と同時に、模擬会見を開始します。
想定質問リスト、セクターBからDを更新しました。
……目を通せますか?」
「……読み上げてくれ」
レオンは目を閉じ、ただ乾いた唇だけを動かした。
「……いまは、視神経を、これ以上発光体に削られたくない」
「承知しました。……では、ボクの声だけを聴いてください。
まず、『蒼銀連邦格付け委員会』の予想質問――『アメリア姫の魔力供給ラインが、規律から0.02%逸脱している。これはシステムのバグか、あるいは経営陣の怠慢か?』。
……回答案を」
レオンは、肺の底に溜まった冷たい空気を吐き出すように答える。
「……『それはバグではない。……生命が持つ固有のゆらぎを、数式が最適化する過程での一時的な熱量だ』と。
……ヨハネ神父の受け売りだが、連邦の連中にはその『不完全な美学』の方が効く」
「記録しました。次、『ドワーフ・フォージ・ファンド』。
……『なぜ我々の金床に対し、CEOは物理的なハンマーを振るわないのか。誠意を見せろ』。
……これには?」
「……『私の指が焼ければ、契約書のサインに血が混じる。
……それは君たちの言う、純粋な規律を汚すことにならないか?』
……残りの質問は、会場に着くまでに私の耳に流し込んでくれ」
薄く目を開け、レオンは窓の外を見る。
凍てつく街灯の列が、流れるように車体を撫でていく。白い光と闇が交互に踊るそのリズムに合わせ、レオンは無意識に右手の人差し指を見下ろす。薄く残る黒線の名残を、親指の腹でゆっくりとなぞった。
ヴァルプスは、レオンの睫毛が微かに震えるのを、暗闇の中で食い入るように見つめていた。
レオンという「美しいエラー」が、このまま動かなくなってしまうのではないかという、身勝手な観測を押し殺す。
主が求めているのは「静寂」だと分かっていながら、ヴァルプスはわざと、耳元で衣擦れの音を立てる。
ぴくりと動く褐色の長耳に唇を寄せながら、ヴァルプスは声を潜めつつ、次の質問リストに目を通した。
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車両が『グラン・ミロワール公会堂』の車寄せに滑り込み、重厚な電子音と共にドアが解錠される。
外気はルテティアの冬そのもの。凍てつく酸素が車内に流れ込んだ瞬間、レオンは自分の輪郭が「規律」という名の冷たい刃によって、鋭く削り直されるような感覚を覚えた。
ヴァルプスが降り、周囲を無言で一瞥する。
その瞬間、影の中から『デッドロック』の隊員たちが、音もなく、だが確実にレオンを取り囲む「死角のない円」を形成した。彼らは実体を持たないノイズのように気配を殺している。
その円の外側に、さらに別の「壁」が立っていた。
「……十九時三十分、定刻です。レオン・ド・ラ・ノワール代表」
エトワール・ガードの現場総指揮、バティスト・ド・モルガンが、黒いタクティカル・アンブレラを杖のようにつき、寸分違わぬ角度で一礼する。傘の先がコン、と硬い床を叩き、夜の静寂に規律の杭を打ち込んだ。
彼の背後には、銀の紋章を掲げた委託警備兵たちが、黒い彫像のように整然と居並んでいた。
「貴社側の『デッドロック』とのプロトコル同期、完了しております。
……これより会場は、外界のあらゆる不確定要素から論理的に隔離されます。……さあ、中へ」
バティストが促し、エトワールの隊員たちが左右に割れて道を作る。
ヴァルプスの「執着」という名の湿った黒の護衛と、バティストの「規約」という名の乾いた黒の防壁。
二重の檻に守られながら、レオンは鏡の床が待つ広大なホールへと足を踏み出した。




