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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第123話:『二センチの救済 ー 01/27 14:15 執行開始』

第8部:二センチの救済


 事務所1階にある社員食堂「ラ・フォンテーヌ」は、十四時を過ぎても賑わいを見せていた。

 入口では、立体映像で『ドテ・ルージュ』がシズル感たっぷりに浮かぶ。

 ホログラムの横には筆記体で「本日のおすすめ」と書かれ、『Dote Rouge』の文字が輝いていた。

 スピーカーからは脂の弾ける音が流れ、空腹のレオンの理性をじわりと削っていく。


 レオンは自身の魔導端末を確認する。

 画面には赤く点滅する非情なアラート――「医師により脂質制限が適用されています。推奨メニュー:白身魚のポシェ」。


 メニュー板の前でレオンの指が止まる。青い瞳が赤に吸い寄せられるように揺れる。

 指先は「ドテ・ルージュ(禁止)」の上で微かに震え、空腹と理性の狭間で心が揺れる。


「……ねえ、ヴァルプス。この赤、目が吸い寄せられる。

 どて焼きの新作だって……きらきらしているよ」


「レオン、単なる食欲の未練です。

 速やかにポシェのボタンを押してください」


 ヴァルプスは懐中時計の上蓋を叩き、簡潔に指示する。

 背後を見ると、黒いタクティカルスーツに身を固めた四人の「質量」――デッドロックの面々が、微動だにせず控えていた。

 彼らのバイタルデータがレオンの端末に送られ、十四時のはらぺこを微かな心拍上昇で告げる。

 CEOの即決できぬ心の揺れを、護衛たちはバイザー越しに僅かな癒やしとして見守っていた。


「……わかっている。だが、見ろ、カイの決済画面を。

 彼は『ドテ・ルージュ(大盛)』を選んでいた。

 ……悪くない選択だ」


 レオンの瞳が赤いメニューに吸い寄せられ、ほんのわずかに揺れた。


--


 レオンは一人、ピクセルが待ち構える、真っ白なクロスが敷かれた孤島の円卓の前で椅子に座っていた。


「……さあ、レオン様。最高の笑顔を。

 世界が安心する『節制のリーダー』の一枚を撮りますよ!」


 魔導カメラが向けられ、レオンは口元を引き締めた。青い瞳には冷静な光が宿り、完璧な微笑みを浮かべる。

 ピクセルに言われるまま、自分の皿にある薄味の白身魚に銀のナイフを入れ、黄金色のコンソメスープを味わう。


 その一方、カメラのフレーム外では、本能のままに食事を謳歌するタクティカルスーツの集団がいた。


 レオンの「せっかくだから同じ時間に食事をとろう」という提案は、彼らにとって福音だった。

 護衛部隊のヘルメットは、戦闘中でも水分や栄養補給ができるよう、顎の部分だけが電磁ロックで下にスライドできるようになっている。

 目元を隠したまま、彼らはロックを解除し、顎を顕にした。

 ヴァルプスがいくら端末で「効率的な栄養補給」を命じようと、彼らはレオンからの暴力的な誘惑に逆らえなかった。

 ヴァルプスにとっては最悪のコンディション管理だったが、口に出すことは憚られた。

 

 少し離れた席では、マルヴェイが部下と共にピクセルの撮影をチェックしていた。

 マルヴェイとピクセルが打ち合わせを始めたあと、レオンはそそくさと食事を終えて大卓の一角を占める護衛たちのもとに移動する。


 カイの顎が、真っ赤な脂を纏った牛スジを躊躇いなく咀嚼している。バゲットをちぎり、皿の底に残ったスープを、最後の一滴まで丁寧に「掃除」するその所作は、野蛮な生命力に満ちていた。

 ギブスにいたっては、巨大な手のひらでバゲットを握り潰し、まるで燃料を補給する重機のように、ステーキを口内へ放り込んでいる。


「……ねえ。ギブス、カイ」


 耐えきれず、レオンがギブスの横に座って身を乗り出した。

 ピクセルが「あ、いい並びかも!」と魔導カメラを握るが、レオンは止まらない。


「……おいしいか? それ。その、味の……深みはどうだ?」


 カイを覗き込んでの言葉は、質問というよりは、もはや渇望だった。

 ギブスが噎せてフリーズする。カイは、口元を赤いソースで汚したまま、ゆっくりとレオンの方を向いた。


「……確認。カプサイシンによる発汗……および、味覚中枢への、過剰な……。……定格、以上の……」


 カイの声が、バグのように微かに震える。


「……はい。……非常に、熱いです」


 ギブスは静かに唸るように、声を絞り出した。


「そうか……」


 レオンは神妙な顔で一度目を閉じる。次に開いたその目は、「0.1秒の冷酷な決断」をするときのような、強い眼差しだった。 

 レオンは目の前の大卓をペンペンと叩き、隣のデザートワゴンを指差した。


「ヴァルプス!

 見ろ、このジュレを。透明だぞ。向こう側が透けて見える。

 これは実質、『少し手応えのある水』ではないだろうか」


 レオンは、指の先まで力を入れ、琥珀色のジュレを指差してみせた。その顔は真剣だった。

 ヴァルプスは紅茶を飲んでいた手を止め、ゆっくりとその指先を追った。


「……厳密には茶葉の抽出物とゲル化剤の混合体ですが。

 ……認めましょう、レオン。

 今日のあなたの『ポシェ完食』への報酬として、そのジュレの最上部二センチ分だけ、蜂蜜の添加を許可します」


「二センチ!? ……いや、いい。それでいい。

 ……ベル、 見てごらん。これがCEOの底力おねだりだよ」


 誇らしげに笑ってみせるレオンに、ベルはなんと返事をしていいかわからず、ただ手首の端子紋を光らせた。

 リンは、レオンがジュレの入った硝子の器を見下ろした瞬間、彼の体温が軽度のアラート領域まで上昇したのを確認していた。


 レオンは、琥珀のように輝くジュレの最上部を、慎重に、かつ大胆に口へ運んだ。

 わずかな蜂蜜の甘みが、アールグレイの香りと共に鼻に抜ける。

 

「……甘い。おいしいよ、ヴァルプス」


 大真面目な顔でそう宣うレオンの頭上で、ピクセルのカメラが「カシャリ」と、今日一番の傑作を記録した。


 レオンは、ジュレをもう一口だけ口へ運びかけて――ほんの一瞬、思考を止めた。


 ……報酬としては、妥当だ。

 糖質量も、許容範囲内に収まっている。

 そう結論づけるはずだった。

 だが、なぜか指先に残る蜂蜜の香りが、思考の続きを拒んだ。


 陽の光を透過して輝く琥珀色のジュレが、とても尊い。


 レオンはわずかに眉を寄せ、それ以上の分析をやめる。

 そして何事もなかったかのように、静かに姿勢を正した。


 十四時四十五分。

 一瞬の「人間」の時間は終わり、再び「組織」の歯車が回り始める。


 それでも、レオンの指先にはまだ、微かに蜂蜜の甘い香りが残っていた。




※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。

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