第120話:『魔力の抽出 ー 01/27 11:30 執行開始』
第5部:魔力の抽出
スキャンの光が消え、視界に残像が踊る中、Dr. ゼロスは音もなく銀色のトレイを引き寄せた。載っているのは、標準的な医療器具ではない。魔導銀で鋳造された、深紅のラインが走る真空採血管だ。
「……データの不整合は、実体検体で補正します。……CEO、腕を」
ゼロスは手袋をはめた指先で、レオンの肘の内側を事務的な正確さでなぞった。感情のない黒の瞳が、血管の走行を透視するように見つめる。
酒精綿で肌を拭われる冷たさが、空腹で過敏になった神経を撫で、レオンの喉筋がわずかに動いた。
透明な水晶針が刺さる。
その瞬間、レオンの血管から流れ出したのは、どろりとした赤黒い——重厚な「魔力の混じった血」だった。
レオンは眉をひそめ、自身の不摂生を省みつつも、物珍しそうに採取される血液を見守る。抜かれていく魔力とともに、わずかな気力も吸い取られていく感覚に、彼は言葉にできない高揚を覚え、目を瞬かせた。
水晶針が完全に抜かれた瞬間、レオンは背後にいたヴァルプスの身体にわずかに身を預ける。
ヴァルプスは、無言で手元の魔導端末に触れた。採血による一時的な血圧低下をミリ単位で監視し、血液中の酸素濃度とともに、溶け込んだ「ストレス物質(コルチゾール魔導変体)」の濃度をリアルタイムで測定、即座にベルの手で偽装させる。
止血パッチを貼られたレオンの腕を、ヴァルプスが背後から無言で支える。その指先は、主の肌を慈しむようでもあり、獲物を固定する縄のようでもあった。
「採血完了。使用済みの水晶針および血液入り採血管は、規定通り高熱魔法による即時消却に回します」
ゼロスが廃棄用トレイに手を伸ばした瞬間、ヴァルプスが声を潜めて告げる。
「……お待ちください、Dr.ゼロス。
その廃棄物の処理は、筆頭管理官であるボクの管轄に含まれます。回収します」
ゼロスは黒の瞳をわずかに動かす。
「……無意味です。使用済みの器具に資産価値はありません。残存する魔力も数分で揮発します」
「価値の問題ではありません。
レオンの『損耗した一部』を、公的な焼却炉に放り込むなど管理上の怠慢です。
……ボクが責任を持って、ボクの管理下で『処分』します」
その言葉が診察室に落ちた瞬間、空気の温度が一度下がった。ゼロスは無言でヴァルプスを凝視したが、それ以上の追及を諦める。合理的ではない「感情」ほど、この病院のデータで処理できないものはないからだ。
ヴァルプスは、恭しく布に包んだ「主の欠片」を影の深淵へ沈めると、何事もなかったかのように「管理官」の顔に戻り、レオンの背後に膝をついた。
レオンは止血パッチを指でなぞりながら、ヴァルプスを見つめる。
「ヴァルプス。それは、ただの廃棄ゴミだよ」
「……あなたは、自分の価値を低く見積もりすぎる」
隣のブースで採血されていたマルヴェイが、楽しそうに笑う。
「……へぇ。ヴァルプスさん、君、意外と『収集癖』があるんだね」
ヴァルプスはマルヴェイを一瞥し、そのまま無言で目を伏せた。
「マルヴェイ様、動かないでください……ああっ」
循環器調律師が悲しげな声を漏らす。採血管が揺れるたび、測定エラー音が出ることに涙を浮かべていた。
ゼロスに従順なマルヴェイであったが、その特異な身体が新たな混乱を生み出す。
ゼロスの視線がマルヴェイに流れ、マルヴェイは少しだけ申し訳なさそうな顔をしてみせた。
「……レオン、立ち上がれますか。
空腹による目眩に備え、デッドロックに物理的サポートを命じましょう」
「いい。まだ、歩ける」
ヴァルプスによって止血パッチが剥がされた腕を、宝物を隠された子供のように眺めながら、レオンは重い腰を上げた。
ゼロスの指示でようやくマルヴェイの採血を断念した循環器調律師は、魂の抜けた顔で椅子に崩れ落ちる。
「……マルヴェイ様、次は……せめて、人間らしい拍動で来てください……」




