第118話:『人間用金庫 ー 01/27 10:30 執行開始』
第3部:人間用金庫
ルテティア中央区、地上六十階。
雲を突き抜けた先のルテティア・バイタル・アーカイヴ(LVA)の車寄せに、三台の漆黒の高級車が吸い込まれるように停車した。
そこは「国家資産級の重要人物」のみが網膜認証で入館できる、病院という名の「人間用金庫」であった。
先頭と最後尾から弾け出すように降り立ったのは、四名の護衛だ。
フロントガードのカイが、バイザー越しに周囲の熱源を最短秒数で走査し、
殿のギブスが、一歩踏み出すごとに石床に重厚なプレゼンスを刻みつける。
真ん中の車両から、192cmの長身――ヴァルプスに促され、空腹で少しだけ機嫌の悪いCEO、レオンが降り立った。
「……管理官、随分と大層な陣容だな。
健診にこれほどの『壁』が必要か?」
エントランスの網膜認証ゲートの前で、白の人物が浮かび上がる。
輝くほどに真っ白な蒼銀連邦指定の三つ揃いのスーツを身にまとい、監察官エティエンヌが皮肉めいた笑みを浮かべて待ち構えていた。
その視線は、レオンを囲むデッドロックたちの過剰な武装に向けられている。
ヴァルプスは、エティエンヌを一瞥だにせず、レオンの歩調に合わせて冷徹に言い放った。
「当然です。
……CEOの資産価値は、この病院の建物すべて……いえ、あなたの背負っている国家予算よりも高価ですので。
ゴミが混じらぬよう、空間を濾過する必要がある」
「……フン、不浄なパケットを隠すために、随分と必死なことだ」
エティエンヌはレオンの前に立ち塞がろうとして、ヴァルプスのそびえ立つような長身に遮られる。
視界のすべてが漆黒のスーツで塗りつぶされ、エティエンヌは仰ぎ見るような屈辱に顔を歪めた。
「……CEOのバイタルは私が管理しております。貴殿の潔癖症に付き合っている暇はありません。
……どいていただけますか。その白い靴が汚れる前に」
その言葉を合図に、リンとベルが、「DX化コンサル」の腕章を巻いた機材ケースを手に、エティエンヌの脇をすり抜けていく。
多眼系のリンが世界を「層」で捉え、接続系のベルが見えない指先で既に施設内のセキュリティ・プロトコルを撫でるように書き換えていた。
「……やあ、リン。ベルも。今日はよろしくね」
レオンはすれ違いざま、二人に微笑む。
その瞬間、バイザーに隠れされたリンの多重瞳孔が検知不能な速度で明滅し、うなじの体温が跳ね上がった。
ベルの手首にある「端子紋」が、主の鼓動に同期して淡く発光する。
ヴァルプスのこめかみが微かに動いた。
管理対象たちの中で、一斉に「情動による演算エラー」が報告されている。
だが、そんな部下たちの「熱暴走」など露知らず、レオンはエティエンヌに一度歩み寄った。
エティエンヌの病的なまでの白に対し、レオンの纏う夜を切り取ったような三つ揃いは、それだけで周囲の光を吸い込むブラックホールのように見えた。
「エティエンヌ監察官、こんにちは。
君の白銀のスーツに、病院の消毒液の匂いはあまり似合わないね。
……心配しなくていい。君が愛する『規律』に従って、私の内側をすべて、白日の下に晒してくるよ」
レオンは吐息が触れるほどの距離まで歩み寄り、清廉な微笑を向けた。
——その笑みは、わずかに遅れて形を取った。
透過する青い光がエティエンヌの視覚を飽和させる。だが、その光の渦の中心に、鋭利な楔を打ち込んだような縦の瞳孔だけが、逃れようのない闇として存在していた。散りばめられた金の砂さえも、その淵へと吸い込まれていくようだった。
レオンが「聖者」を演じるその影で、ヴァルプスの指先が冷徹なリズムで空を掻いた。
巨漢のギブスが、大岩が転がるような圧力を伴って無音でエティエンヌの背後に回る。
挟み撃ちの形になった監察官は、レオンの端正な顔立ちに眩暈を起こしながらも、背後の死神が放つ冷気に顔を歪めた。
「ちっ……せいぜい今のうちにその不浄を隠蔽しておくがいい。
……一点の曇りもないデータが出てくることを期待している」
そう言って、彼は真っ白な手袋を胸元にあてながら、身を引いた。
背中から刺すような視線を浴びながら、レオン達は施設の奥へと入っていった。




