第117話:『沈黙の招待状 ー 01/27 9:00 執行開始』
第2部:沈黙の招待状
午前九時。ド・ラ・ノワール事務所の最上階執務室。
朝方、「腹筋一回」に心血を注いでいた男――レオンは、ホログラムディスプレイの前に座っていた。
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件名: Re: 【親展】デイリー・エグゼクティブ・サマリー(07:00)
差出人:バルナザール・特別顧問
レオン。
昨日の面会は見事な「沈黙」だった。
君が一切の言葉を排し、代わりに「あの香り」で私を迎え撃ったこと、その意図は十分に受け取った。
二十一日に私が刻んだ「熱」を、君は一滴の汗も見せず、あの冷たい森の香りで凍らせてみせた……実に唆るよ。
さて、昨日の君の「回答」を踏まえて聞く。
君にとって「沈黙」とは、拒絶の盾か? それとも私への「招待状」か?
今日のサマリーの末尾には、君がいま好きな「色」を添えてくれ。
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件名: 【親展】デイリー・エグゼクティブ・サマリー(09:00)
差出人: CEO レオン・ド・ラ・ノワール
バルナザール顧問。
昨日は失礼いたしました。
ご質問の件ですが、昨日の『沈黙』は単なるオペレーション上のリスク管理(ニンニク臭漏洩防止)によるものです。他意はありません。
好みの色は、現在のポートフォリオの安定性を示す『金』を推奨いたします。
本日の業務に入りますので、以上です。
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一月二十七日 九時五分
執務室の窓際で、レオンは送信完了のサインが明滅するホログラム画面を閉じ、深く溜息をついた。
「……なんだか。顧問からの返信が詩的だな。
……私も、詩の勉強をするべきだろうか」
隣で魔導タブレットを操作していたメイが、眼鏡の奥で冷たく光らせる。
「……どうやら、あの案内状を『招待状』として、脳内で完全に再定義されたようですね」
ヴァルプスが影の中からレモン水の入ったグラスを差し出す。
「レオン。あまり不必要なやりとりは控えたほうがよろしいかと。
あなたが提示した『金』が、顧問の脳内でどのような色彩に読み替えられたか……想像に難くありません。
とはいえ、当面は顧問のモチベーション(誤解)も維持されます」
レオンは冷たいレモン水を一口飲み、顧問の「投影の詩」に対する困惑をようやく中和した。
「……モチベーションか。……なら、いいんだが」
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背後に控えるヴァルプスが、懐中時計の蓋を音もなく閉じた。
促され、レオンは重厚な自動扉を抜ける。十一時の予約まではまだ余裕があった。
事務所の裏口で魔導端末を操作していたマルヴェイが、レオンの姿を見つけて微笑む。
彼は健康診断と、自身の悪魔化した身体の調査のため同行するよう依頼されていた。
レオンのパーソナルスペースに近寄ろうとするマルヴェイの前に、ヴァルプスの長身が立ちはだかる。
「……こんにちは、ヴァルプスさん」
「……こんにちは、マルヴェイさん。本日はよろしくお願いします。
本日は共同戦線ですが、レオン様のパーソナルスペースは私の管理外です。
一歩、お下がりください」
ヴァルプスは一礼したあと、レオンとマルヴェイの間に存在を固定するように位置どってから、片手を上げた。
石床から四つの質量が染み出すように具現化する。それは人間というより、ヴァルプスが意志で鋳固めた盾たちだった。
漆黒のタクティカル・スーツ。表情を消したフルフェイスバイザー。内部は個を捨てた『デッドロック』。
バイザーの青い光はLVA認証システムと同期する外部端子で、彼らにとってこの重装備は「聖域を蹂躙する正装」だった。
膝を突く四つの「質量」を見下ろし、レオンは満足げに目を細める。
「……カイ、リン。それにベルとギブスか」
ヴァルプスの部下たちを、レオンは迷わず個人名で呼ぶ。
その瞬間、リンのバイザーが明滅し、ギブスの肩が僅かに震える。
「……レオン」
ヴァルプスの声が低くなる。
「再三申し上げています。同期にノイズを混ぜないでください。
精密機器が熱暴走しては、十一時に間に合いません」
「いいじゃないか……好きなものを好きだと、言わせてくれ」
ヴァルプスの瞳が一瞬暗くなる。それは他人――部下だからこそ、心を開くレオンへの感情だった。
同期に微細な遅延が生じる中、部下たちは硬直する。
その隙間を、レオンは優雅な足取りで通り抜けた。
ヴァルプスが端末を操作すると、四人のバイザーに強制冷却信号が送られる。
だが一度灯った「熱」までは消し去れない。
マルヴェイは、名前を呼ばれただけで壊れそうになる部下たちを見つめ、口角を上げながらレオンの後に続いた。




