第115話:『死人は痛いと言わない ー 01/27 3:00 執行開始』
第5部:死人は痛いと言わない
バルトロメは、満足げに細めた目をレオンから逸らし、レオンの横で凍り付いたままのマルヴェイへと向けた。
「……その二人芝居、多用するな」
バルトロメは音もなく立ち上がり、ゆっくりとした足取りで出口へと向かう。
扉に手をかけ、一度だけ振り返った。
「次は、それすら必要なくなる」
音が死んだ特別訓練室に残されたのは、繋がれたままの二人の手と、耳鳴りのような静寂だけだった。
レオンの背骨を支えていた不可視の添え木が外れる。
膝から崩れ落ちようとするレオンを、マルヴェイが正面から抱きとめた。
レオンは、マルヴェイの胸板に顔を埋めた。
「……ヒューム……」
記録したはずの名前が、汚泥のような熱を伴って、喉の奥からせり上がってくる。
視界が歪み、現実と記録の境界が溶け始めた、その瞬間。
「――っ、い……い、たっ!?」
レオンの悲鳴が、防音壁に跳ね返った。
マルヴェイの白く長い指が、レオンの褐色の頬を、情け容赦なく、万力のような力でつねりあげていた。
「……レオン。死人は『痛い』とは言わないんだ」
マルヴェイの低い声が、至近距離で響く。
つねられた箇所から、焼けるような、生々しい「痛覚」が脳の初期セクタを直撃した。
「な、何をする……マルヴェイ、離せ……!」
「離さない。……今、君の目の前に居るのは、私だ。
……この、私が与えている『指先の痛み』だ。そうでしょう?」
マルヴェイは、赤く腫れ始めたレオンの頬を、さらにグイと引き絞る。
睨みつけるレオンの瞳に、ようやく「今、この瞬間」という焦点が戻った。
「……ふふ。いい顔だ。
今の君はただの資産分散品でも、成功報酬の担保でもない。
……ただの、私に痛めつけられている『人間』だ」
マルヴェイは満足げに手を離し、赤くなった指先を愛おしそうに見つめた。
その指先を、わずかに名残惜しむように、もう一度だけ撫でる。
レオンは疼く頬を押さえ、荒い呼吸を繰り返す。
その痛みのおかげで、自分がまだ「アンブレイカブル」な冷たい機械(CEO)に成り下がっていないことを、皮肉にも実感していた。
「……最悪だ、君は。
……ヴァルプスに見られたら……」
「『自傷の痕だ』と言えば?
……大丈夫。私にも多少の治癒魔法の心得はあるんだ。治してあげるよ」
マルヴェイは、レオンの乱れた黒髪を乱暴に、しかし深い執着を込めて撫で下ろした。
その手は、離れない。
音が死んだ部屋に、二人の歪な同期音(心拍)だけが、再び静かに重なり始める。
レオンは床を何度か確かめるように見て、マルヴェイの顔を覗き込む。
「ごめんね」
レオンの言葉に、マルヴェイは我慢できずに軽く吹き出した。
「……ふ、ははっ! ……何それ!
さっきまでの『非情な役者』はどこへ行ったの?」
マルヴェイは肩を揺らし、赤くなった自分の指先を眺めた。
「謝る必要なんてないよ。
……君が私を使い潰し、私の中に君のゴミを捨てるたびに、私は自分が君の『不可欠な一部』になったと実感できる。
……むしろ、お礼を言いたいくらいだ」
一瞬だけ、その声に、かすかな――本当にかすかな焦りが混じった。
マルヴェイは、まだ赤みの引かないレオンの頬に、今度は羽毛のような軽やかさで指の腹を這わせる。
静かな治癒魔法の熱が、レオンの頬の痛みを優しく溶かしていく。
レオンはマルヴェイの指先の感触を確かめながら、強い意志を秘めた目で見据えた。
「訓練はあと四回ある。深夜手当は三倍出す。力を貸してほしい」
「……いいよ。調整する」
マルヴェイは少しだけ、目から気持ちが溢れそうになって瞼を閉じた。涙は許されなかった。
レオンは、マルヴェイの手に自分の手を重ね、短く息を吐いた。
地下二階。音が死んだ部屋の扉が開くとき、二人の顔からは「人間」の熱が消え、再び冷たい「プロトコル」が上書きされていく。
それでも、指先だけは、ほんの少し遅れて離れた。
扉の向こう側で待つのは、完璧な管理下の日常。
二人は一歩踏み出すごとに、互いの指先に残った熱を、秘匿されたログの最深部へと閉じ込めた。
※本日は彼岸明けですね。読了ありがとうございました。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。




