第112話:『接待の終焉 ー 01/27 2:05 執行開始』
第2部:接待の終焉
バルトロメが、顎でしゃくり上げるようにマルヴェイを指し示す。
「言葉だけでいい。
……その観客を、今ここで、絶望の淵へ引きずり込め。
……君の持てる限りの『嘘』と、かつて磨き上げた『毒』を使ってな」
レオンは少しの間を置き、ゆっくりとマルヴェイに向き直った。
その瞳からCEOとしての光が消える。
代わりに、触れれば壊れそうな脆さだけが、静かに浮かび上がった。
レオンは胸元に右手を胸にあて、ゆらり、とふらついて見せる。
「……マルヴェイ。……私はもう、長くないと思う」
声はかすれ、視線は定まらない。
命の終わりを悟った人間が、最後に縋る相手を選ぶ――それだけの話だった。
「君には感謝している……いままで、助かった」
マルヴェイは、じっとそれを見ていた。
そして――わずかに、口元を歪めた。
「……」
それは同情ではない。
味見をする前から、毒の質を見抜いた者の顔だった。
「……そこまでだ」
バルトロメの冷ややかな声が、劇場の幕を降ろすように響いた。
「悪くは、ない。
……だが、違う。
……君は今、彼を『接待』した。
……それは詐欺師の仕事であって、俳優の仕事ではない」
「……接待、だと?」
レオンが眉を潜め、喉の奥で低く問い返す。
完璧に「死」をトレースしたはずだった。マルヴェイの喉元を、確かに絶望で締め上げたはずだった。
「そうだ。君は彼を『操ろう』とした」
バルトロメは即答した。
「……欲しがる味を出しただけだ。あれは毒じゃない」
レオンの眉が、わずかに動く。
「……レオン。君はまだ、安全な場所にいる」
指先が、胸元を軽く叩く。
「俳優はな、観客を喜ばせない」
一拍。
「壊すんだよ」
静寂が落ちる。
「……逃げ場のないものを置け。目を逸らせないものをな」
レオンは、言葉を失った。
深夜二時の冷気が、上着を脱いだ肌に直接突き刺さる。
「……自分を、捨てろと?」
「そうだ。……そこに、君の『死体』を置け」
バルトロメは、レオンの足元を指差した。
「操るのをやめろ。
……君の初期セクタに刻まれた、『誰にも見せたくない地獄』だけを、そこに展示しろ」
レオンの青の瞳が、深く、暗く沈んでいく。
目の前で――マルヴェイの呼吸が、一瞬だけ止まった。
「……」
レオンは目を閉じ、主観をパージする。
脳内の防壁を一階層ずつ、強制的に剥がしていく。
CEOとしての、あの直角に整えられた背筋が、わずかに揺らぐ。
本当にわずかに――それは「しなやかで、重心の低い獣」のそれへと変質していった。
やがて、震える呼気が唇から零れた。
「……私は、死にたかったんだ」
静寂が、軋む。
「だけど――」
喉が、引き裂かれるように震えた。
「死ねない……死ねない、ヒュ――」
ほんの一瞬だけ、何かが戻ろうとした。
だが、形を成す前に砕けた。
レオンは、糸の切れた人形のように、その場に膝をつく。
タイル張りの冷たい床に、額を押し当てた。
「……」
音が死んだ部屋に、ただレオンの不規則な、肺を抉るような呼吸音だけが響く。
バルトロメは、動かない。
マルヴェイも、動けない。
レオンが誰にも——自分自身にさえ——触れさせなかった「初期セクタ」の残骸。
それが今、舞台の中央に、無様に、放り出されていた。
「……ヒューム、さま」
マルヴェイの唇が、無意識にその断片をなぞった。
余裕の笑みは、消えていた。
その視線が、初めて揺れる。
「……」
静寂。
バルトロメが、ゆっくりと、一度だけ、拍手をした。
「……合格だ」
冷徹な声が、床に伏せるレオンに降り注ぐ。
「素晴らしい『真実』だった。
……だが、レオン」
一拍。
「……リテイクだ」




