第110話:『成功報酬と尊厳の秤 ー 01/26 20:30 執行開始』
第4部:成功報酬と尊厳の秤
マルヴェイが魔導端末を忙しなくスワイプしながら、レオンに歩み寄った。
「レオン、タイやシャツもここで揃えてしまうのが正解だ。
……正確には『タイの形状をした予備プロトコル・ユニット』として発注すべきだがね。
独立演算チップにバイタル・センサー……これ、私が編んだ防壁システムと直結させたいから、私に一任していいよね?」
「……ああ、わかった」
レオンが力なく頷くと、マルヴェイはすぐにヴァルプスと顔を突き合わせ、密談を開始した。
二人の企みを訝しみながらも、レオンは円卓に投げ出されたタイの見本に視線を落とす。その中から、深い黒のシルクにサファイアブルーの極細ラインが一本だけ走る、控えめなレジメンタルタイを手に取った。
……それだけは、自分で選んだ。
ヴァルプスはレオンの手元を一度追いながら、手際よく『言語織りの絹』製のシャツやアンダーウェアを選別していく。
「シャツやインナーは予備を含めて十二着、一括発注としましょう。
明日の健康診断の結果次第で、さらに微調整をかけます」
ヴァルプスが、冷たい光を放つ承認画面をレオンに向けた。
「手付金として、予算の三割――四百五十万を即時決済。緊急予備費より、暗号化魔導通貨にて送金済みです。
……そして残りは、二月の決算会場において『スーツの非破壊』を確認した瞬間に、成功報酬として支払う条件で契約しました」
提示された条件は、レオンの尊厳と一千五百万を天秤にかけた、残酷なまでの合理性。すべてを確認し、レオンは網膜スキャンで決済を承認した。
「……受理されたぞ、若造。
一週間後、その『新しい皮』を取りに来い」
背後でマスター・ニードルの歪んだ笑い声が響く。
レオンはニードルから伸ばされた手に自身の手を重ね、強く握った。
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移動ポータルから吐き出されるように事務所へ戻ったレオンは、自席の革椅子に深く崩れ落ちた。そのまましばらく、指一本すら動かす気力が戻らなかった。
数分前までルテティアの怪しげなアトリエで、六本の魔導腕に蹂躙されていたのが嘘のような静寂。
ヴァルプスがレオンの前に、湯気の立つハーブティーの入った白い茶器を静かに置いた。淡い花の香りを吸い込みながら、レオンは力なく天井を見つめる。
喉の奥に残るのは、言葉にし損ねた選択の残滓だった。
「……ただ、服が欲しかっただけなんだが」
ヴァルプスが影の中から、小ぶりな白木の箱を取り出し、執務机の上に置いた。
レオンは箱の蓋を開ける。それは、マスター・ニードルが緊急用として渡してきた『仮パッチ・モジュール』だった。
見た目はただの一枚の黒いハンカチ。だが、その繊維には恐ろしく高密度な魔力が、脈打つように編み込まれている。レオンはそのしなやかな布地を取り出し、指先を滑らせた。
冷たく、しかし確かな守護の予感――それが、自分のためのものかどうかは分からなかった。
二月の決算会場――。
その戦場へ向かうための「新しい皮」の鼓動を、レオンは指先で静かに感じ続けていた。
※本作は、noteにて先行公開していた記録ログのアーカイブ版です。




