第108話:『言語を縫う仕立屋 ー 01/26 19:30 執行開始』
第2部:言語を縫う仕立屋
一月二十六日 十九時三十分
転送ポータルの残光が霧に溶けると、そこは色の欠落した世界だった。
湿ったレンガの匂いと、古い羊皮紙が焼けるような、乾いた魔力の香りが混ざり合う。
『テーラー・バベル』の看板は、明滅する魔電灯に照らされ、「言語を縫う(Weave the Protocol)」という文字を不気味に浮かび上がらせていた。
看板を見上げるレオンの左右には、ヴァルプスと、そしてマルヴェイが控えている。
「……メイさんに『専門家が必要でしょ』って、半ば強制的に呼び出されちゃったけど。
でも、私、こういう『悪趣味な魔導艤装』の設計は大好きだよ、レオン」
定時で鮮やかに退社したメイに代わって呼び出されたマルヴェイだったが、その表情は隠しきれない期待で「うきうき」と弾んでいた。
「……ふん、遅いな。時間は厳守だと伝えておいたはずだが。
連れてきたのは、今にも崩れそうな『負債の塊』か」
店内に入ると、頭上から降ってきたのは、金属質でそれでいて神経を逆なでするような老紳士の声。
レオンが顔を上げると、天井の梁から逆さまに吊り下げられたマスター・ニードルが、金の鑑定眼をキチキチと鳴らしてこちらを見下ろしていた。
「……ほう。若造、死に損ないの悪魔にスーツを焼かれたか。
……無様だな」
ニードルは重力を無視した挙動で床へと降り立つと、背中の上着を突き破り、四本の漆黒の魔導義肢を展開した。
計六本の腕が、まるで獲物を品定めする蜘蛛のように、レオンの周囲を高速で旋回する。
「だが、その『敗北の焦げ跡』こそ、最高の採寸データだ。
……破損ログは既に、私の脳へと直接流し込んである。
いいか、若造。私の針は、嘘だけは縫えんぞ」
ニードルは細い指でレオンの顎をクイと持ち上げ、その青い瞳の奥に潜む「執着」を覗き込んだ。
無感動に、しかし逸らさず視線を交わし続けるレオン。その様子を、ヴァルプスは細めた瞳の奥に静かな熱を灯して見守る。
傍らではマルヴェイが、棚に並んだ『享楽のビロード』を無造作に指で弾いていた。
布地が楽しげな音を立てて波打つなか、ニードルは口の端を吊り上げ、黄色い目を見開いた。
「……いい目だ。『全裸で死にたくない』という強烈な生存本能。
そして、『自分を、根こそぎ摩滅させたい』という倒錯した崩壊が混ざり合っている。
……気に入った。一千五百万、たしかに受領しよう。
さあ、脱げ。概念の裏地まで、徹底的に測ってやる」
「……お手柔らかに願うよ、マスター」
レオンは指先でシャツのボタンを一つずつ外しながら、鏡に映る無数の「自分」と目を合わせた。
そこには過去の栄光、現在の疲弊、そして――未来に立っているはずの、凍てつくような勝利者の姿が層を成していた。
「……さて、始めるとしようか。言語の再構築を」
レオンは上半身の肌を晒し、ニードルの前に立つ。
ニードルの口から、細く、鋭い銀色の詠唱糸が吐き出される。
それは空中で複雑な幾何学模様を編み上げ、レオンの身体を、物理的な寸法ではなく「存在の定義」ごと縛り上げ始めた。
銀糸が肌に触れるたび、レオンの脳裏に、これまでの敗北と執着の記録がノイズとなって走る。
痛みはない。しかし背筋を撫でられるような感覚に、レオンは一度大きく身震いをした。
銀糸がレオンの裸体に幾何学的な模様を刻み、空中に浮遊する魔導義肢が、まるで見えない臓器を摘出するかのような精密さで布地を当てがっていく。
「……さて、『機能』は何をご所望かな?」
レオンは一瞬だけ視線を落とした。
選ぶべき言葉はいくつもあったが、どれも現実に適合しなかった。
「……立ち続けられる、ものを」
それだけが、辛うじて現実に残った選択だった。
レオンが言い淀む隙を与えず、ヴァルプスが魔導端末を叩きながら割って入った。
「マスター。最優先で『可変式屈曲追従』を。
……CEOは時として、戦略的に膝をつく場面があります。その際、布地が突っ張って一ミリでも『惨めな音』を立てることは許されません」
間髪入れず、マルヴェイも端末を操作しながら片手を挙げる。
「……加えて『緊急離脱』の実装も。
不測の事態において、CEOが優雅、かつ最速でその場を『転進』――失礼、撤退できるよう、脚部の摩擦係数をゼロにする補正を。
……あくまで『経営判断の速度を向上させるため』の機能ですが」
「一千五百万も積むのです。光学迷彩による『強制不可視化』は最低限のマナーとして組み込ませます」
「防弾・耐魔導繊維にハニカム型分散パッチ、形状記憶に自己修復機能も外せないな!」
横から容赦なく積み上がる注文の山に、ニードルは邪悪な笑みを浮かべ、レオンの肩を叩いた。
「……いい注文だ。実に『醜悪な生』への執着を感じるぞ」
ニードルは六本の腕をさらに加速させ、吐き出す銀糸の密度を上げた。レオンの視界が、火花のような魔法式で埋め尽くされていく。
背中の義肢が、レオンの胸元で鋭利に交差した。
「……これは、私の……戦闘服だ。……君達の、玩具では……」
苦しげに言葉を絞り出すレオンだったが、その拒絶の声すらも、ニードルの針によって「装甲の定義」の一部として無慈悲に縫い込まれていく。
それが自分の身体に触れているのか、それとも既に“別の何か”に置き換わっているのか、レオンには分からなかった。
「……死んだ経営者に、決算は務まりませんから」
ヴァルプスの静謐な声も、マルヴェイの真剣な翡翠の眼差しも、もはやレオンには届かない。
霧の深淵に、裁断バサミの硬質な金属音と、マスターの狂気じみた笑い声だけが、意味を持たない音として響き続けていた。




