第107話:『概念循環への投資承認 ー 01/26 16:00 執行開始』
第1部:概念循環への投資承認
一月二十六日 十六時
レオンは革張りの椅子に深く沈み込み、肩に寄り添う青い正八面体のクリスタルを片手で撫でた。
ヴァルプスが執務室の照明を落とし、メイが展開していたホログラムの投影を停止させる。
静寂のなか、背後に控えていたヴァルプスの白い指が、レオンの項に静かに触れた。その指の冷たさに、レオンは短く息を吐いて目を閉じる。
痛みにも似た冷徹な感覚が、麻痺した末梢神経へ「自分はまだ執行中である」という信号を送り続けていた。
薄闇の中、レオンが重い口を開く。
「……A.I.D.A。バルナザール顧問訪問時の魔圧波形データを解析。次期プロトコルの『耐性閾値』を設定してくれ。
それから、さっきの損壊ログを解析して、次期スーツに組み込む『魔圧分散アルゴリズム』の基本設計を固めてほしい」
A.I.D.Aが、わずかに明滅し、過剰な最適化処理の反動のように震える。
『了解、マスター・レオン。
……うまく言語化できないのですが、
今回の魔圧は「強い」というより、あまりに「直線的」です。
防壁が壊されたのではなく、
“避ける余地がなかった”のが問題だと推定します。
ですから……受け止める前提を捨てて、
「当たらなかったことにする」設計の方が、おそらく最適です。
……マスター・レオンは、まだ動けています。
……なら、まだ間に合います』
レオンの腹の上に移動し、ぷるぷると震えるA.I.D.Aを撫でながら、レオンは小さく頷いた。
「……メイさん、今回の件で分かった。顧問の魔圧はもはや『礼節』では防げない。
『概念装甲』を得意とする老舗の仕立て屋をリストアップしてくれ。
予算は……研究開発費の名目で、一千五百万まで認める」
メイは待っていましたと言わんばかりに、手元の魔導端末をスワイプした。
レオンの網膜に、A.I.D.Aを経由して三つの紋章が浮かび上がる。
「当然です、CEO。既にリストアップ済みです。
顧問の訪問が常態化する以上、既製品の延長では対応しきれませんから」
彼女が指し示したのは、通常のファッション誌には決して載らない、『境界線』の向こう側に潜む仕立屋たちだった。
「候補は三つ。
一つ目は、首都ルテティアの地下深く。教皇庁の結界を編む一族が営む『アトリエ・ゴルゴダ』。
二つ目は、電子の海と魔術の交差点に位置するカスタマイズショップ『LOG―SILK』。
そして三つ目――私が最も推奨するのはここです」
メイが強調したのは、古びた銀の針が交差する、無名の紋章だった。
「街の最深部にある『テーラー・バベル』。
彼らは『言語』を布に変える技術を持ちます。
予算一千五百万あれば、顧問の魔圧を『熱』ではなく『魔力』へと変換し、逆にA.I.D.Aの演算リソースへと充当するような――『概念循環型』のスーツを仕立てさせることが可能です」
メイは眼鏡の奥の瞳を冷徹に、しかし確かな期待を込めて細めた。
「『テーラー・バベル』の主は気難しいですが、一千五百万の即決案件となれば話は別です。
通常、概念装甲の編み上げには二週間を要しますが、『超特急プロトコル(エクスプレス)』を上乗せすれば、三、四日で仮縫い、一週間での実戦配備が可能です。
二月の決算には、十分間に合います」
メイは淡々と、しかし逃げ場を塞ぐように言葉を継いだ。
「ここで一着、決算用の勝負服を仕立てましょう。
晴れの舞台で装甲を全パージされ、全裸を晒す醜態を演じるよりは、安い投資です。
……よろしいですね?」
「……そうしよう。
顧問への請求は、将来的な『外交的プロトコル』の維持コストとして計上しろ。
彼を敵に回さないことで得られる不可視の利益――機会損失の回避の方が、リターンは大きい。
今回のスーツの損壊も……顧問の魔圧という希少なサンプルを得るための必要経費だった、と処理してくれ」
項に添えられたヴァルプスの指が、微かに、かつ鋭く動いた。だがレオンは関心を示さず、ただ膝の上で微睡むA.I.D.Aを撫で続ける。
ヴァルプスは一度レオンから指を離すと、メイとの打ち合わせに加わった。
青白いホログラムの光が、鉄の弁護士と氷の管理官、その無機質な二人の横顔を冷たく照らし出す。
数分の密なやり取りのあと、ヴァルプスは再びレオンの傍らへと戻り、恭しく膝をついた。
「レオン。……今から三時間、仮眠を。
その間にボクがバベルへ『網膜スキャンデータ』と『顧問の魔圧ログ』を先送りし、予約をねじ込んでおきます」
レオンは返答せず、ただ一度だけ、わずかに顎を引いた。
「……CEO、十九時半に合わせて移動ポータルの手配を済ませておきます。
あいにく、私は定時で失礼させていただきますが。
……代わりにヴァルプスさん以外のアドバイザーも手配しておきましょう。
……それでは」
メイが容赦なく照明を全点灯させると、ヴァルプスがレオンの身体を椅子から静かに抱え上げた。
レオンにはもう、文句を言う気力さえ残っていない。なすがまま、プライベートラウンジへと運ばれていく。歩く理由は、もう残っていなかった。
背後で、ホログラムモニターが閉じられるの乾いた電子音が遠ざかっていった。




