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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第105話:『不浄なる既成事実 ー 01/26 15:40 執行開始』

第2部:不浄なる既成事実デ・ファクト


「……顧問。廊下で魔圧を散らさないでください」


 冷ややかな声が、重苦しい煤を切り裂いた。

 廊下の向こうから、メイが蒼銀縁の眼鏡を押し上げながら歩み寄ってくる。その手には「コンプライアンス遵守」と書かれた厚いファイルが握られていた。

 バルナザールが、苛立ちに震える肩を揺らして振り返る。


「メイ! 貴様、見ていなかったのか!

 このヴァルプスが、私の目の前で、レオンの指を……ッ!」


「顧問。見苦しい痴話喧嘩(誤解)の続きなら、どうぞ執務室の中へ」


 メイは事務的な手つきで、レオンとヴァルプスが密着していた背後の扉を開け放った。


「廊下は共用スペースです。

 ここで騒ぐのであれば、管理組合への報告と、顧問報酬の30%カットを即時執行いたします」


「……っ、報酬だと!? 私を金で脅すのか」


「ええ。『行間』は読めなくとも、数字のマイナスならご理解いただけるでしょう。 さあ、中へ」


 メイの「合理性の刃」に押され、バルナザールは鼻息荒く執務室へと足を踏み入れた。

 レオンはヴァルプスの長いコートの裾を掴んだまま、その後を追うように背後に潜んで入室する。


 ヴァルプスが背後でドアを閉め、施錠の音が響いた。

 密閉された空間。


「……さて。顧問。……座ってください。

 ……お話は、聞きますから」

 

 ヴァルプスの背後から、レオンが消え入りそうな声で告げる。

 バルナザールは、来客用のソファに大仰に腰を下ろし、「不浄な息子」と「怯えるCEO」を交互に睨みつけながら、微かに拳を震わせた。


「……連絡は、一時間前に送ったはずだが?」


 声は低く、しかし不自然なほど静かだった。

 その静けさが、かえって空気を重く沈める。

 二メートルを超える巨躯から溢れ出す『帝王の残灰』の煤が、レオンの視界を黒く染め上げた。

 レオンは答えない。いや、答えられない。


(……返事を、するべきだ。

 ……だが、声が出ない)


 喉の奥にはまだ、ヴァルプスに押し付けた薄荷の残光が冷たく張り付いている。

 

 バルナザールの詰問に対し、ヴァルプスはすぐには答えなかった。

 彼はただ、残った薄荷の冷気を味わうように、ゆっくりと喉を動かした。

 それから、何事もなかったかのように一礼する。


 その沈黙は――あまりにも雄弁な、肯定だった。


『マスター・レオン。

 ……精神防壁プロトコルの自動修復が追いつきません。

 このままでは、外殻の維持が不可能となります。

 ……早急な『お気持ち』の鎮静を推奨します』


 A.I.D.Aからの声なき通信に、レオンはぎゅっと目を閉じる。

 バルナザールの放つ重圧に、レオンの指先が微かに震える。

 だが、彼は決めたのだ。

 余計な言葉は言わず、この「事務的な義理」だけを果たして、すべてを切り捨てて逃げ去ると。


 レオンはヴァルプスの影から、一歩。

 処刑台へ向かうような足取りで、バルナザールが鎮座するソファの前へと進み出た。


「…………」


 無言のまま、上着のポケットから一通の黒い封筒を取り出す。

 それは二月十二日の決算会場を手配してくれたことへの、事務的で、潔癖なまでの感謝を綴った手紙だ。

 レオンがその封筒を差し出し、バルナザールの黄金の瞳の、わずか三十センチ先に踏み込んだその時。


「……っ!?」


 バルナザールの呼吸が、劇的に止まった。

 

 ――祈りのために焚かれた香、雨上がりの聖域。


 かつて悪魔界で、自身の指をすり抜けて自滅していった唯一の執着。


 今はこの世にいないはずの、ヴァルプスの『主設計者メイン・アーキテクト』。

 バルナザールが三%の不純物(因子)を混入させたにもかかわらず、その個体を破棄せず、歪んだまま完成へと導いた――サリクス。

 その『遺された思考(サリクスの幻影)』が、

 あり得ないはずの形で、目の前の青年の肌から、剥き出しの熱を持って立ち昇っていた。


(……この、香りは。

 なぜだ、なぜレオンが……あいつの匂いをさせている……!)


 レオンは、バルナザールの顔が驚愕と悦楽、そして激しい動揺で歪んでいくのを見た。


(……やっぱり怒っている。顔が怖い。

 ……なぜ、こんなことで怒る。

 ……早く、受け取ってくれ……)


 レオンは半ば押し付けるように、バルナザールの大きな、石のように硬直した手の上に封筒を載せた。

 指先が一瞬、触れ合う。

 サリクスの香りが、レオンとの接触点を通じてバルナザールの指に重なっていく。


「……レオン。貴様……これは、一体……」


 バルナザールの声は、もはや威圧ではなく、懇願に近い震えを帯びていた。

 だが、レオンは答えない。

 手紙を「検収」させたその瞬間、彼は冷ややかな視線で顧問を見下ろし、ゆっくりとヴァルプスの背後へと回る。

 背中のスーツを握るレオンの指の感触に、ヴァルプスは僅かに頬を緩めた。


『マスター・レオン。

 顧問のバイタルが計測不能なほどにスパイク。……脳内コンプライアンスが全壊しました。

 ……今のうちに、全力での「バックレ」を推奨します』



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