『完璧な業務:降伏点への同調』③
第3部:同僚たちとの「契約者自慢大会」
【次元境界・バルナザール宮殿/黒曜石の魔力充填広場】
ホールに足を踏み入れた瞬間、ヴァルプスはその異質な空気に息を呑んだ。
天井は見上げるほどに高く、魔力結晶の柔らかな白光が空間を切り裂いている。壁沿いに設えられた湯盤が、悪魔たちの微細なノイズを遮断し、管理官たちの精神を鎮める。
空間全体が緩やかに時を遅らせているのか、歩く足音さえ水面の雫のようにゆったりと伸びていた。
中央の円卓には、焦げ目のついた獣肉や結晶化した香辛料、魔力煙を立てる果実酒が並ぶ。
悪魔たちはまるで、過酷なプロジェクトの合間の休憩のような平和さと、戦場のような値踏みの視線を同時に漂わせていた。
研修で磨り減ったヴァルプスがラウンジへ進むと、薄荷の冷たい香りを纏った青年悪魔――アリストフェルが温和に微笑んだ。
「おっ、新人くん。いい顔になったな。バルナザール専務に相当絞られたか」
「アリストフェルさん。お久しぶりです。あの村の案件以来ですね。ボクの担当案件を抱えていると、あの村の静寂が究極の平和だったって、時々思い出すんですよ」
「それは光栄だ。ところで、君の案件はどうだ? 魂の『収集室』の構築は進んでいるのか?」
「……いえ。いま、契約者がちょっと壊れて(バグって)いまして」
「ふぅん。前にポートフォリオを見たときは、そんな風には見えなかったんだけどなぁ」
アリストフェルが席を勧めると、赤ら顔のザガンが杯を煽りながら割り込んできた。
「おいおい、俺の今月の『北方破壊プロジェクト』の進捗を聞いてくれよ。更地にしてやった王様が、後になって『民の悲鳴がうるさくて眠れない、こんなの望んでなかった』なんて抜かすんだ。契約書(仕様書)通りに動いたのに、後から要件定義の変更を言われても困るっつーの……」
ヴァルプスは魔力結晶のチーズを口に放り込み、適当に相槌を打つ。
「災難ですね、ザガンさん。でもそんなの、『仕様変更に伴う追加対価』で対応すればいいんです。オーダーにない『静寂』を求めるなら、特約条項で追加の魔力を支払わせなきゃ」
「ハハッ! 言うじゃねえか。そうだな、あとで現世に直接話し合い(詰め)に行ってやるか」
ザガンは愉快そうにテーブルを叩き、ヴァルプスの肩を大きく揺さぶった。
「なかなかビジネスが分かってきたな、新人。……てっきり、契約者に私情で懸想しているだけだと思っていたが」
ヴァルプスは、ただお行儀のいい笑みを返す。
「ザガン、あなたは言葉が野蛮だわ」
いつの間にか側にいたシトリーが、優雅にグラスを揺らした。
「破壊なんて低コストな仕事、誰でもできるわよ。私の『禁断の恋』の案件を見て。契約者が理性を失うたび、私の『執着心タンク』が満たされるの。それがとても赤くて綺麗で……。でも困るのよね。老婆でも絶世の美女に見えるよう精神構造を書き換えてあげたのに、原理を説明したら『本物がいい』なんて贅沢を言うのだから」
アリストフェルも涼やかに付け加えた。
「私の『争いのない村』も、結局『静寂の解像度』を〇・一%ずつ微調整する修正案で合意しました。契約者というのは、常に仕様が不安定なものですね」
「……皆さん、色々と現場で苦労されているんですね」
ヴァルプスが考え込むように目を伏せた瞬間、背後の空間の魔力圧が跳ね上がった。
全員が一斉に起立し、一礼する。その中心に、バルナザールが立っていた。
大悪魔は鋭い眼鏡の奥から、冷徹な声を落とす。
「いいか。契約者は、自分が本当は何を欲しているか分かっていない。だからこそ、我々管理官が『最適解』を定義し、導く必要がある。ヴァルプス、お前の契約者も同じだ。いずれ『自分を罰しろ』というエラーログが、『自分を許してほしい』という本願に変わる。その転換期こそ、お前の腕の見せ所だ」
「――はい」
バルナザールの言葉を背に受け、ヴァルプスは今日、ホワイトルームで刻み込まれた「管理官」としてのプライドを静かに紡ぎ出した。
「ボクの案件には、派手な破壊も誘惑もありません。ですが……一度も壊れたことのないあの美しい理性を、その資産価値(輝き)を保ったまま、ボクの管理領域でだけ『疲れた一人の男』に戻す。この究極の『安らぎの管理業務』を完遂できた時、ボクの存在価値を証明できると思っています」
ラウンジに、刹那の沈黙が流れる。
蒸気と琥珀色の光の中で、アリストフェルが静かに嗤った。
「……なるほど。それはまさに、理性派悪魔の到達点の一つだ。面白い、新人くんを応援しよう」
だが――ザガンだけは笑わなかった。
彼は杯を傾けたまま、ヴァルプスの細い首筋を、まるで「どこから解体すれば最も効率的か」を査定するような、冷え切った目でじっと見つめている。
「……新人のくせに、随分と高く売ったな。その『安らぎ』とやらが一度でも濁れば、お前はキャリアごと灰になるぞ」
広場の空気が、静かな「観察」によって凍りつく。それは期待ではなく、いつこの特例採用のルーキーが破綻するかを見定める、冷酷な値踏みの沈黙。
ヴァルプスはその重圧を真っ向から受け止め、ただ静かに一礼した。
(誰にも、理解されなくていい)
この傲慢な理想(檻)を共有させる相手は、現世で眠るあの男ただ一人なのだから。
窓の外、バルナザール領域の「止まった時」は、無数の結晶粒子が光を反射するように、永遠に、そして冷酷に輝き続けていた。
※2026/05/21 大幅修正をしました。




